2011年 新年のご挨拶

院長 田中弘志

皆さま、新年おめでとうございます。長引く経済不況に加えて目を覆うばかりの日本の政治の混迷と不振、国家としての山積する課題はいっこうに解決の糸口さえ見えず、日本が国際社会からも取り残されつつあるような焦燥感、そのような重苦しい雰囲気の中で新年を迎えました。こういう時には往々にしてあらゆる思考が内向きになる傾向があります。視線は自分の足元もしくはごく身近な狭い範囲にしか及ばないということになりがちです。最近の日本の若者が外に出たがらなくなったという傾向も、そのことと無関係ではないと思います。周囲からじわりと迫る閉塞感に簡単に押しつぶされないためにも、こういう時こそ意識して目を高く上げる、広く外に目を向ける気持ちが大切なのではないでしょうか。
突然ですが、私たちの学校で毎日聞いております礼拝開始の本鈴のチャイムは、讃美歌301番「山べに向かいて」のメロデイーから採ったものです。この讃美歌は旧約聖書の中の詩編121篇にもとづくもので、その詩の書き出しはこういうものです。「目を上げてわたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」これは天地の創造主である神に対する、旧約の時代の人々の素朴な、しかし揺るがぬ信仰を言い表しているもので、時代を越えて多くの人々に大きな慰めと励ましを与えてきた詩でもあります。このチャイムの由来ですが、実は私たちの学校が思わぬ火災で校舎を焼失してしまうという辛い出来事がきっかけになっています。女子学院は終戦直前の1945年5月に空襲で全校舎を焼失してしまいましたが、外国ミッションからの援助もあってその3年後には新校舎が竣工しました。ところがその新校舎がそれからわずか1年後、つまり1949年5月には原因不明の火災により再び焼失してしまったのです。それを知らずに登校し、校庭に茫然と立ちつくす生徒・教職員を前にして、当時の山本つち院長は「一人のけが人も出さず、学校の過失でもなかったことは大きな恵みであった」と語り、全校で讃美歌301番を歌い、当時の暗唱聖句であった詩編121篇を唱和したと伝えられています。このことを記念して当時の在校生の発案により、その後数年間の卒業記念の寄付を貯めて、火災を体験した最後の学年が卒業する1955年に学校に贈られたのがこのチャイムでした。以来今日まで半世紀以上にわたって、数多くの生徒たちがこのチャイムを聞きながら勉学に励み、困難の中にあっては励ましを得ながら、感謝しつつ卒業して行ったのです。
昨年夏私はドイツ南部にあるオーバーアマガウという人口5000人ほどの小さな村で上演されるキリスト受難劇を見に行く機会がありました。1634年にはじめて上演されて以来、400年近くにわたって演じられてきたものです。そのきっかけになったのはこの地域でのペストの大流行でした。ちょうど30年戦争の最中でしたが、この村もペストに襲われ多数の犠牲者が出ました。その時村の人々は真剣に祈り、もし村が絶滅を免れることが出来るならばキリスト受難劇を上演するという誓いを立てたのだそうです。するとペストはぴたりとおさまり、村人はその誓い通り定期的にこの受難劇を演じるようになりました。そして今では10年に一度、文字通り村人総出で5か月にわたって演じられるこの受難劇が、世界中から大勢の人々を呼び込む一大イベントになっています。ここでも私は村人たちの素朴な、しかし揺らぐことのない信仰に圧倒される思いを経験しました。
私たちは八方塞がりと思われる状況の中でもなお上を見上げることが出来ることを教えられます。人間に出来ることには限りがあります。「人事を尽くして天命を待つ」ではないですけれども、最終的には私たちの思いと力を越えた方にすべてをゆだねるという信仰が、私たちの人生の歩みを支え導く大きな力になることもあるのだということを心に刻みたいと思います。

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