「ひろしまの旅」特集
◇「ひろしまの旅」特集◇
ひろしまの旅は、高1の夏休みに自由参加で行われています。日本YWCA主催「中高生広島を考える旅」への有志参加から発展して、1982年より女子学院独自のプログラムで行われるようになりました。平和教育の一環としての講演会のほか、学年全員で映画鑑賞や読書会などの準備をし、旅には160名前後が参加しています。また、毎年この旅で学んだことをまとめ、文集を作っています。
◇2002年「ひろしまの旅」日程◇
◇フィールドワーク◇
◇文集より◇
私は広島という街に、今回初めて行った。そこに戦争や原爆の面影はほとんど見られなかった。
原爆ドームを見た時も、何か不思議な感じがした。周りと比べると思っていたよりも小さく、街になじみすぎているような気がしたからだ。
資料館で数々の悲惨な姿を見て、やっとここは本当に広島なんだ、と実感した。これは今私がいる「この地」で起こったことなのだと。時間が経つと街の外見は変わるものだ、と強く感じた。
これから先、どんどん被爆者の方が少なくなる。その分私たち若い世代が戦争や原爆のことをしっかり心の中に入れ、次の世代に伝えなければいけない。街の外見は変わっても、その中にあるものや私達の戦争に対する気持ちは変わってはいけない。
被爆者の方のお話は、それまでの自分の知識を超え、想像以上に辛いものだった。思い出すだけでも嫌なはずなのに、それでも語り続けているのは、本当に、心から、同じことを繰り返してはいけないと思っているからだろう。運良く助かった自分の命で、いったい何が出来るだろうかと考えたからこそだと思う。
さらに「原爆をなぜ落とされたのか」というお話にも深く考えさせられた。落とした側だけでなく、日本、特に日本政府にも大きな責任があるということだ。日本は原爆を落とされても仕方がないような行為をアジアの国々にしていたし、実際に原爆のおかげでその国々の人々は、日本の侵略から逃れられたのだ。
しかし、だからと言ってやはり原爆の存在を認めてはいけない。核保有国は何のために核を持つのだろうか。おそらく、自国の力を他国に示すためだと私は思う。そしてその理由は、自国が政治的にも、社会的にも他国より優位に立つためだ。
私には、「他国より優位にたちたい」という発想自体、何か間違っているような気がする。核の問題以前に、国同士は自国のことばかりではなく相手の国の事も考え、平和に接し合える時代になってほしい。
けれども、現実問題、それは、机上の理想論であろう。ならば、せめて核は永久的に使用されず、無用の長物となることを祈るばかりである。
その為にもこれからは、唯一の被爆国として世界に、核のおそろしさ、それを使用する人間の愚かしさを全世界の人達に伝えていかねばならないと思う。