アジア・エキュメニカル・ウィーク礼拝
◇アジア・エキュメニカル・ウィーク礼拝◇
アジア・エキュメニカル・ウィーク礼拝 (アジア祈祷週間…5月24日~28日)
5月24日~28日、アジア・エキュメニカル・ウィークの特別礼拝がまもられました。
アジア・エキュメニカル・ウィークとは
教会では、聖霊降臨日(ペンテコステ)の前の一週間をアジアの教会に関心を寄せて、アジアの抱えるさまざまな重荷を担い合うことを考える時としています。女子学院ではこの週に、礼拝に特別に講師をお迎えして、アジアの問題と合わせて世界の問題を考え、祈っています。
2004年テーマ
共に仕える―境界線を越えてー
ラオス福音教会のために
アジアにあるたくさんの境界線ー宗教・教派・民族・政治―をなくすためにわたしたちは何が出来るか。
日程
5月24日(月) (高校:講堂/中学:放送25分)山本俊正先生『境界線を越えて共に生きる』
25日(火) (中学:講堂/高校:放送25分)市橋さら先生『あなたの隣人は?』
26日(水) (高校)トウン・クップ先生『一つになるため』
27日(木) (中学)小林毅先生『平和を実願する』
28日(金) (高校)神田英輔先生『良い隣人になって生きよう』
お話いただいた先生
山本俊正先生 日本キリスト教協議会 総幹事
今年のアジア・エキュメニカル・ウィークについてお話していただきます
市橋さら先生 アフリカ・ケニアにあるキューナ幼稚園とコイノニア幼稚園園長
夫の市橋隆雄さんはキューナにあるスラム街の教会の牧師
トウン・クップ先生 1994年来日し、ミャンマー人のための礼拝を始めて、現在に至る
大島新生教会牧師
小林毅先生 CCWA(国際精神里親運動)部長
春の修養会に講師としてお出で戴きました
神田英輔先生 日本国際飢餓対策機構 総主事・牧師
特別献金について
今年、皆さんの献金は、ラオスにあるラオス福音教会およびお話いただいた各先生の働きのために献げられました。
中2と高1の応答礼拝を紹介します。
アジア・エキュメニカル・ウィークのお話で、最初に印象に残ったことは、「今、世界では貧富の差がとても大きくなっている」と山本先生がおっしゃっていたことでした。
これを聞いて、先日放送されたNHKスペシャルでの話を思い出しました。その番組によるとアメリカ合衆国の各都市の中心部には、スラム街が広がっているのだそうです。そうしたスラム街で、電線にたくさんの靴がぶら下がっているところが映っていました。その靴は、そのスラム街でなくなった人のもので、彼らは貧しいために、お墓を作ることができないので、靴をぶら下げて亡くなった人たちをとむらうのです。しかし、そういう各都市の中心がスラム街になっていくことに気付いたお金持ちの人々は、都市の中心から都市のまわりへ逃げていっているということでした。
山本先生によると、マザー・テレサはこう言ったそうです。「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」である、と。お金持ちの人々がスラム街を避け逃げていく行動も、貧しい人々に対する無関心に関係するのではないでしょうか。
自分が様々な人々に対して無関心にならないためには、どんなことでも何か奉仕に相当すること、つまり、何かしら人のためになるようなことを、愛の表現として実践することが大切だと思います。
私はマザー・テレサの愛の観点から、少しは奉仕してみたいと思っていますが、私が奉仕をする運命にあるかどうか分かりません。しかし自分が何を一生の仕事に選ぶにしても、奉仕の精神を忘れずにその仕事に励みたいと思いました。
最後に思い出すのは、市橋先生がおっしゃったことです。市橋先生は、聖書にある「永遠の命を得る」ということは、世界中どこへ行っても価値のある生き方をすることなのだ、とおっしゃいました。「神様は価値のない人間を作り出すことはない。でもその与えられた命で、価値のある生き方をするかどうかは、その人自身に任されている」ということにもつながってくると思います。
そんな感想を持った私ですが、私もこれから世界中どこへ行っても次のような生き方をしていきたいと思います。
一つ目は、どのようなものにも無関心にならないこと。二つ目は、マザー・テレサのように全生涯を捧げて奉仕することはできなくても、価値のある生き方を見つけていくことです。(中2)
「境界線を越える」・・・今年のアジア・エキュニメカル礼拝のテーマである。人と人との間で作られている境界線とはなんだろうか。
境界線から想像するのは、国と国で作られる国境、人種、性別、宗教・・・などがある。
更に深く考えてみると、それは狭い世界である。自分に関係があることには敏感だが他者はどうでもよいと考える。これが自分の世界を狭めているのだ。そして今私達は、その狭い世界にすっぽりはまっている。境界線は人の心の狭さである。
さらに、狭い心を持った人間が生み出したのは偏見だった。「あっ外国人がいる。あの人、美人だなあ。」「あれ?あっちの人は障害者だ。」人と人をあえて比べる言葉が生まれた。表面に出さなくても心の中で軽蔑している自分が作られてしまった。誰もが感じてないだろうか。でもミャンマー人の牧師トウン・クップ先生に会うと民族が異なっているのに心が温かくなった。私の境界線は越えられ、自分のテリトリーに他人が入ってくるのを拒んでいた緊張感が抜けていくのを感じた。また、日本人はこの境界線について変に敏感なところがあると思った。他人に礼儀正しく接し、曖昧な言葉で心を傷つけないようにする。一見やさしく人を気遣っているように見えるが、自分のテリトリーに他人が入らないよう自己防衛していると思う。「個人的なことにはつっこまないで欲しい」とお互いに思っているので、彼等の領域が侵されることはない。そう思うと身近なところで境界線が引かれていると思った。
最後に私が一番印象に残ったことを話したいと思う。それは、市橋先生の「日本人はお金持ちである」という言葉だった。
先生がケニアに初めて足を踏み入れたとき、自分がどんなにお金持ちだったか知ったとあまりにも強調して言うので、私は金持ち自体がいけないと存在否定された気分になった。そうであるならば資本主義経済も良くないのだろうか。日本がこうして豊かになり、礼拝で世界のことを考えられる程余裕をもてるようになったのは資本主義のおかげである。もし、戦後アメリカに見捨てられたままだったら、今の私達でなかったに違いない。
金持ちがいけないのではない。苦しんでいる人達が世界中にいるのに見て見ぬふりをするのは人間性において許されることなのかと言いたかったのだと思う。人を助けることは偽善に過ぎないのではと考えてしまうが、多分人を助けることで結局は他人を求めてもいると思う。私はかりがね学園にワークキャンプをしに行ったが、ボランティアというのは名ばかりで相手に求められていると同時に自分も求めていると感じた。つまり、助けることはお互いに愛を求め合っている証しであり、人間同士のつながりを深めるものである。そういう意味で聖書の隣人愛は欠かせないと思う。隣人は、自分が友人と呼ぶ人だけではない。この前見知らぬ外国人の女性に「六本木駅にはどう行けばいいのですか」と尋ねられたが、私はその瞬間彼女の隣人になったのである。自分が出会う人達全てが一回きりの関係であっても隣人なのだと思う。大好きな作家も実際に会ったことがなくても隣人といえるだろう。
話がそれたがお金持ちである私達にしか出来ないことがあると思う。確かに自分の幸せさえあれば満足なのかもしれない。でも人生をむなしく感じないだろうか。外界を閉ざされた籠の中で金・権力というえさを与え続けられ一生を終える自分が想像される。それにほとんどのJG生は、人の役に立つ職業につきたいと考えているだろう。医者、先生、弁護士・・・など。もちろん金儲けと考えている人もいるに違いない。(現に私はそうなのだが)。しかし、年をとるにつれて自分の世界の狭さに気づかされると思う。そうならないうちに今から世界への視野を広げていくべきではないだろうか。必ずしも世界とは、地図上だけではない。多種多様な人々に出会うことである。自分の固定観念にとらわれず、柔軟な思考を持って他人に接すれば道は開けてくるだろう。世界に目を向けることはみずからの人生にも関わってくる。人生を切り開くために役立つはずだ。神田先生が出会った、女の子に少ない食料を分けたシラミだらけの男の人は先生の人生を変える起点になった。
滅多に会うことはないと思うが、人生を変えるそんな隣人に会いたい。(高1)
◇春公演の報告◇
4月30日から5月22日までの約1ヶ月にわたって、中学1年生へのクラブ紹介を目的に各クラブの春公演が行われました。春公演は、秋の文化祭での公演と並ぶ大きな公演で、どのクラブも昨年秋から半年かけて準備してきた練習の成果を存分に発揮し充実した発表をしました。クラブ入班を楽しみにしている中学1年生は、上級生の真剣な姿を目の当たりにし、大いに刺激を受けました。春公演を行ったクラブとそのプログラムを紹介します。
落語研究班 | 落語・コント・大喜利 |
聖歌隊 | 主の復活、ハレルヤ |
すみわたる大空に | |
丘の上の教会へ | |
地とそこに満ちる | |
みめぐみ深き主に | |
救い主イエスこそは | |
あおき牧場ときよきみぎわ | |
~めさめよ、わがたま | |
マンドリン・ギター班 | AMERICA 映画「WEST SIDE STORY」より |
空も飛べるはず SPITZ | |
ひとりぼっちの晩餐会 映画「美女と野獣」より | |
海の見える街 久石譲 | |
剣の舞 Aram H'ich Khachaturyan | |
Unchained Melody 映画「Ghost」より | |
細川ガラシャ 鈴木静一 | |
演劇班 | COURAGE OF THE WIND 作 成井 豊 |
Sr.ESS班 | NON STOP MUSICAL ~It's show time~ |
Jr.ESS班 | Little Mermaid |
ダンス班 | Aladdin(縦割り作品) |
アグラバの宮殿 | |
街の市場 | |
ジャファーの陰謀 | |
魔法の洞窟 | |
ランプの精ジーニー | |
パレード | |
夜空の下で | |
支配された宮殿 | |
戦い | |
エピローグ ~結婚パレード~ | |
管弦楽班 | 『コッペリア』より「マズルカ」 ドリーブ |
『眠れる森の美女』より「ワルツ」 チャイコフスキー | |
軍体ポロネーズ(木管アンサンブル) ショパン | |
交響曲第2番 ブラームス |
◇韓国のリズムと踊りを鑑賞しました。◇
今までに日本の歌舞伎や日本舞踊を少しTVで見たときに現在の自分の生活とはちがって古風で、何年も練習しなければ出来ないとても堅苦しいものだと思い、自分の国の文化でさえそう思うのだから、他国の文化はもっと「なじみにくそうで分からない」と考えていた。でもそれは私の勝手な思い込みで、実際はとても楽しく、華やかで、じっくり見れば、とても韓国を身近に感じられるというような素晴らしいものでした。
やはり踊りなどは何年も練習しなければ出来ないようですが、先輩や同学年の子がとても楽しそうに体験している(されている)のを見て、上手くなるには時間がかかるけど楽しんで技を習得していくものこそが、文化(伝統)なのだと思いました。
踊りはとてもゆうがな感じで、親しみやすく、昔からあるとは思えないようなものでお姉さんの一生懸命さに感動しました。
打楽器の演奏は、激しく動きながらのもので、演奏する人の、音楽への魂(というより気力や意気込み…。)の躍動感のようなものが感じられました。
今日、5月11日に、韓国の舞踏団の方々が女子学院にいらっしゃり、韓国独特の楽器で演奏したり、踊りを披露したりして下さった。
チマチョゴリの美しさに心を奪われ、楽器の音の大きさに驚き、ピクさんのお話に感動し…とにかく色々なことに感激した100分間だったが、その中で、最も私が感動したのは、サムルノリチームの方々の楽器を演奏している姿だった。
初めから真剣な表情であったが、ふとした時の笑みが、心から演奏を楽しんでいること、音楽を愛していることが伝わり、音色が一層美しく感じられた。
また体を大きく動かして演奏する姿は、手だけではなく、体全体で音をつくり出しているかのように思えた。
終盤に差し掛かると、サムルノリチームの方々から、さらに熱気が伝わってきた。顔を真っ赤にして、大汗をかいて演奏している方々の表情は、自信に満ちあふれ、一生懸命さが伝わってきた。私も心を奪われ、無意識のうちに、リズムに乗って手を叩いたり、足を踏み鳴らしたりしていた。
全てが終了した後の、サムルノリチームの人々は、とても満足そうで、また、とても気持ちが良さそうだった。
◇東北旅行◇
第1日目
毛越寺
境内は広く、大泉が池を中心とする浄土庭園がとてもきれいでした。平安時代の姿を残す、日本最古の庭園として知られていて、国の特別史跡、特別名勝に指定されているそうです。大泉が池に2隻浮かべてある、龍頭げきしゅ鷁首という、龍の船が印象的で、昔はこの上で管弦の楽を奏していたそうです。
中尊寺
毛越寺と中尊寺はとても近くて、移動中には金鶏山も見えました。中尊寺の境内はとても広くて(毛越寺より)金色堂に着くまでも時間がかかりました。金色堂は意外に小さくて、でも全てが金で、中に遺体がはいっていると思うと、すごく迫力がありました。
東北旅行に来て初めて「寺」というものをじっくり見た。想像では古臭い感じがあったが、実際見てみると特に金色堂には目をうばわれた。今まで歴史は嫌いだったし日本の文化を馬鹿にしてた自分が恥ずかしくなった。
宮沢賢治記念館
宮沢賢治に関する資料が大量。詳しいです。直筆原稿もありましたが、ぐちゃぐちゃの字で、読めたものではありませんでした。読めたのは、「雨ニモマケズ」くらいでした。この作品は冷害の詩で、本当の題は11月3日なんだそうです。他にも7部門に分けられた展示は興味をかきたてられるものばかりでした。記念館の建物はレトロの可愛い感じで、敷地内には、「下ノ畑ニ居マス 賢治」という看板があったりして、面白かったし、山猫亭という建物もありました。
伝統芸能鑑賞
〈鬼剣舞 おにけんばい〉
鬼面、武者袴を身につけ金剛杖を持って舞う。前九年・後三年の役や開拓などの犠牲の霊を供養する踊りから始まった。剣のようなものを持って舞う鬼はすごく怖かったです。身につけているものがすごく重そうでした。
〈鹿踊り ししおどり〉
昔、ここに住んでいた空也上人が、里人に鹿の戯れる様を踊らせ、猟師に殺されてしまった鹿の死を悼んだのが起源。鹿が遊んでいる様子が、太鼓の音と舞で表現されていてすごかったです。かかしを人間と思って逃げようとする鹿の表現がよく伝わってきました。
第2日目
渋民村 石川啄木の故郷だそうです。
(1)啄木の短歌の石碑
「やはらかに 柳あをめる
北上の 岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに」 と彫られていました。
(2)鶴飼橋
北上川にかかるこの橋を渡りました。“雪の残る山に青空”そこから見る風景はたまらないものでした。
(3)代用教員をしていた母校
床がかたむいていたり、すきまから下の階が見えたり、黒板も木が緑に塗られているだけで本当に書けるのか?ってくらい古く、昔だなって感じがしました。
(4)石川啄木記念館
啄木の家族のこと、プロフィールから作品の原稿まで色々ありました。特に印象的だったのは、啄木が夢に描いた我が家が模型で展示されていたことです。今なら簡単に手に入りそうなというよりもどこにでもいるごく普通の家庭。でも、これが啄木の理想だったと感じると、昔と今の差を痛感すると共に現代は恵まれているなと思いました。
小岩井農場
いよいよ本日のメイン、小岩井農場です。ついたらすぐに記念写真。
メス牛の牛舎&子牛の牛舎
出産前の牛はすごく大きく、お腹が大きすぎて立てないものまでいました。これを見てから子牛を見ると小っちゃくてカワイイなと思うと共にあの牛からこの子たちみたいな牛が産まれるんだと思うと感動しました。
わらび座
(1)ミュージカル「銀河鉄道の夜」
~僕もう あんな大きな 闇の中だって こわく ない きっと
みんなの ほんとうの さいわいを さがしに いく
どこまでも どこまでも 僕たち一緒に 進んで 行こう ~
テーマは本当の幸せについて。でも劇の中に答えを見つけ出せませんでした。原作を読んだことはなかったけれど、楽しく見れました。ケンタウルスの祭りのシーンは大音量で鳥肌がたちました。あと、装置や照明がきれいでした。
(2)ソーラン節・練習
わらび座の方にNewソーラン節を教えていただきました。曲がアレンジしあって驚いた部分も最初はあり、こんなに長い振り短時間で覚えられるか不安もありました。でもいざ始めると、ハードだけれどもリズムにのれて楽しかったです。
第3日目
旅館出発。
角館の町並みをバスの中から見学。角館は、宿場町として栄え、今も昔の美しい町並みを残している。多くの武家屋敷があり、春にはきれいな桜並木が見られるそうだ。その桜を生かした伝統芸能、わら細工、樺細工(桜皮細工)が盛んで、樺細工は国の伝統工芸品となっている。自然の風景も美しく、タイムトリップした感じがした。
秋田ポートタワー
全高143mあるという秋田ポートタワー。展望台は5階100mの位置にあり外が360度見わたせる様になっています。天気は曇りでしたが、秋田市や秋田港など、様々なものが一望できました。ここでおやつが!「はたはたパイ」2枚。美味。
大潟村
ちょうど田植えをしているところでコンバインをつかった農業の様子が見られました。ここでは、農薬をつかわない米の栽培を行っているそうです。すごく広い土地にていねいに田植えをしている姿を見てお米のこさず食べなさいという親の言葉を少し納得しました。
十和田湖
第6十和田丸にのって、周りを歩いているだけではわからない荘厳なけしきをみることができた。また夕日が湖面に映って美しかった。風も冷たかった。
夕食後、津軽三味線を鑑賞
三味線は普通ネコの皮を使うが津軽三味線はイヌの皮を使う。たたくように弾くからだ。またギターのように弦に仕切りがない。初めに津軽の伝統的な曲を演奏して下さり、その後「もし沖縄に津軽三味線が根づいたら」「もしロックの世界にギターがなかったら」という様な感じで弾いてくださった。
学年の代表何人かが花笠をかぶってねぶた祭りの踊り(跳ね)を踊った。「らっせぇーらあっ」というかけ声がとても盛り上がった。
最後に龍神太鼓が演奏された。4人で鼓膜が痛いほど大きく太鼓をたたいていた。この曲は終わりがきまっていない。そのためなのか1人の人がたたき終わっても他のメンバーが終わらせないというような感じで曲が終わったころには全員汗だくで息が切れていた。
第4日目
奥入瀬
十和田湖から流れ出る唯一の川。青森方面から来た道と十和田市から来た道とが出会う焼山から、十和田湖畔の子ノ口までの14㎞の渓谷を奥入瀬渓流という。岩菅の滝から銚子大滝まで歩きました。
印象に残った滝
白糸の滝…水の1本1本が細くて、本当に糸のようでした。
銚子大滝…最後に見た滝で、大きくて素晴らしかったです。