アジア祈祷週間礼拝

5月19日から22日にかけてアジア祈祷週間の礼拝を守りました。今年はチャイルド・ファンド・ジャパンから4人の講師の先生をお迎えして、アジアの子どもたちの抱えるさまざまな問題を考え、共に祈りました。
先生方のお話を聞いた生徒による応答礼拝を紹介します。

私は今年度、宗教委員会の広報係になり、高1の献金先であるチャイルド・ファンド・ジャパンのパンフレットを手にする機会がありました。そこに載っていたのが、礼拝で紹介されたサラさんでした。
写真で見たサラさんは普通の女の子でした。ところが、お話で聞いたサラさんの住んでいる地区の現状はひどく貧しいものでした。
このフィリピンの現状を改善するにはどうしたらよいでしょうか。私達がサラさんにできる事は何でしょうか。私達は献金という1つの方法を知っています。献金で貧困がなくなるという考えを持っている人は少ないと思いますが、献金によって助かる人がいるということは確かなのです。
高1がサラさんのスポンサーになったということを知り、私の中で献金をするということが、現実味をおびてきました。献金先の現状を知れば知るほどサラさんを身近に感じ、献金の重みを改めて実感します。私には献金以外に広報を書くことができます。広報を通じて、フィリピンの現状やサラさんについて伝えていきたいです。
アジア祈祷週間を通して貧困について考えましたが、サラさんという個人に目を向けるか、フィリピンでの貧困などという社会に目を向けるか、どちらにしても、貧困から目をそらさず、自分の立場から考え続けていきたいと思います。

小林毅先生のお話を聞き、「教育を受けることができない」という事実の苛酷さを突き付けられました。先生がお話して下さったのは、現在識字教室で先生をしているジョセリンさんについてでした。彼女はフィリピンの中でも人里離れた村で暮らしており、彼女やその両親でさえも、文字の読み書きができなかったそうです。彼女の弟さんがマラリアを患った時、彼女の家族は皆、病院内の「文字」の存在に圧倒されてしまい、結局弟さんの命を亡くしてしまったというお話でした。そしてその経験から彼女は現在の仕事に就き、「世の光」となっているということです。
今まで、私にとって雲を掴むようなふわりとしたイメージだった貧富の差・教育の有無の問題が人の死というものに関わった途端にずしっと重たくのしかかってきました。
私達の生活において教育は当然のものです。それはもはや権利ではなく義務、つまり負担に感じてしまう事もあります。幸せの渦中にいることがあたり前である、満たされている状態が続いている私達は、自分達の幸福に気付かずに素通りして生きているのです。眩しすぎると目がくらんで何も見えないという経験はないでしょうか。私達は常に明るい光の中にいて目がくらんでしまっているのだと思います。
一度、私達も心の目を閉じて、自分達に与えられた光に目を向けてみることが必要なのかもしれません。そうして得られた光を忘れずに生きていけたらいいと思います。

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