中学卒業証書授与式が行われました
例年通りの中学卒業式はできませんでしたが、3月16日に中学三年生のみ出席し、卒業証書授与式を行うことができました。卒業生代表の言葉(答辞)をご紹介します。
女子学院生として初めて過ごした入学式から三年が経ち、今日卒業の日を迎えることとなりました。沢山の経験と学びに溢れた、充実した三年間でした。
女子学院の教育からは学問、精神の両面において様々な事を得ることができましたが、この学院だからこそ得られたと私が感じているものに、「考えなくては」という強い意識が挙げられます。
入学した頃の私は、小学校とは異なる環境に適応することに手一杯でした。自分の意見と才能を持った同級生達。科目ごとに教室と先生が変わる授業。印象に残っている事は沢山ありますが、中でも驚きが大きかったのは初めての理科Ⅱの授業です。ヨウ素液について説明するという課題から始まった授業では、一度の授業につき、必ず一つの質問を出すつもりで取り組むことが求められました。その中でも驚かされたのは暗記をしてはいけないという教えです。中学受験で知識の大切さを感じていた分、その時は素直に受け入れる事が出来ず、覚えなければ問題を解くこともできないだろうと反発を覚えたことを鮮明に覚えています。今思えば目の前のやるべき課題に気を取られていたのだと思います。
以前より視野を広げるゆとりが生まれたのは、中学校生活も半分を過ぎた頃、個性豊かな同級生と関わる中で、ふと、自分はどのような人間として女子学院の歴史の一部に組み込まれていくのだろうか、と考えたことがありました。私は学校が差し出している恵みを全て受け止めきれているだろうか。そもそもここで学べと神様に「選ばれた」私は何を期待されているのだろうか。
そう考えた時、先程お話しした理科Ⅱの授業の事が頭に浮かびました。「暗記をしてはいけない」―どのような人間になることが求められているにせよ、この一言は女子学院が生徒に望んでいること全てに通じるのではないか、これが今の私の結論です。
暗記をするなという事は、何かを覚えるな、という事ではないと思います。むしろ覚えるということは最終的な結果であり、重要とされていたのは自分がその過程でどれだけ思考したか、他の人に説明できる程考えたのかということではないでしょうか。
この理科Ⅱの授業から始まり、講演会、作文やディスカッションの課題、毎朝の礼拝も、全ては自分で考えることが出来るようになるための機会だったのではないか。そのような結論に至った時、三年前に受けた「暗記をしてはいけない」という言葉が驚く程すとんと腑に落ちたことは忘れられません。
私達は同じ一七学年として入学しましたがそれは二百二十八の「たった一人」の集合体でもあります。義務教育の終了となる今、一人の個人として自分で考え、自分の道を探っていかなければなりません。しかし、熟慮した上で選択していけば、なりたい自分を作っていくことが出来る、ということでもあります。そのように前向きに捉えられるのは、誰でも同じJG生として平等に受け入れてくれる、この環境があるからこそです。
今、世界では新型コロナウィルスの流行が大きな問題となっています。学校も、三月から休校、期末試験は中止となり、本日の卒業式も例年とは違う形となってしまいました。もはや自分には関係がないとは言えない問題です。学生の私にはウィルスの拡大を解決する手立てはありませんが、それでもこの問題について考えることは出来ると思います。考えるのを人任せにして答えだけを受け取るのではなく、まず関心をもって調べてみる。そうして一つ一つの問題に誠実に向き合っていくことで、いずれ自分から社会に働きかけることが可能になった時、少しでも社会を豊かにする手助けができたらよいと思います。
先日中学最後の礼拝で、院長先生が学院生活をサンタクロースとクリスマスプレゼントに例えてお話ししてくださいました。自分で考える、という意識はずっと前から差し出されていたものを三年かけてようやく受け取ることができたプレゼントのように感じます。四月から高校生活が始まりますが、自分に与えられた小さな袋を広げたり丈夫にしたりして貪欲に沢山のプレゼントを集めてゆきたいです。そして、三年後にこの学校から卒業していく時には、自分から社会に手渡せるような、大きくて中身が詰まったプレゼントの袋を抱えていけるようにしたいと思います。
最後になりますが、三年間親身になって御指導してくださった先生方、行事等で共に活動した上級生、下級生の皆さん、多くの時間を一緒に過ごした友人達、いつもそばで見守ってくれた家族、学校生活を支えてくださった全ての方々に心からの感謝を申し上げ、卒業の言葉とさせて頂きます。
2020年3月16日