文化祭が開催されました

9月18日(土)、20日(月)に文化祭(マグノリア祭)が行われました。

今年こそ外部のお客様をお招きしたいと、生徒たちは新型コロナウイルスの感染拡大防止に配慮して

開催準備を進めておりましたが、残念ながら昨年と同様に来場者を生徒のご家族に限定しての開催となりました。

当日の礼拝で中2の生徒が話した文化祭に対する思いをご紹介します。

また、文化祭の様子をHPの「受験生の方へ」の中の「文化祭(マグノリア祭)」にアップしてあります。

あわせてご覧頂けると幸いです。

 

 

文化祭の準備期間に入ってから、一昨年まではどのような様子だったのだろうと時々思う。外部の方が来られないことや、食品販売が出来ないことを残念に思うのはもちろんだが、その一方で、例年の文化祭を知らないため、多くの特異な条件や制限にあまりピンとこないのも事実である。

私が入学前に来た時の文化祭では、生徒一人一人に活気があり、来場者が皆笑顔だった。そんな様子に当時私は、やりたいことが出来る自由な文化祭の雰囲気が、生徒の熱量や笑い声に比例しているのだろうと思った。

しかし、入学後の昨年の文化祭は、例年とは勝手が違ったようだ。女子学院の最大の特徴であり誇りである、生徒が思い思いに行動する自由な様子は、昨年度はあまり見られなかった。例年とは一変した文化祭の内容に戸惑う先輩方を見て、私は、一昨年のような明るい雰囲気は影をひそめてしまうのだろうか、とどこか他人事のような感想を抱いていた。

しかし、私の予想は全く外れた。来場者が少なく、数々の制限があったにも関わらず、私がかつて憧れた、活気あふれる明るい文化祭がそこにはあった。来場者を笑顔にしたい、自分達も笑顔でいたいという熱意に、私は文化祭の本質のようなものを学んだ気がした。

出来ることが多いから楽しい、大規模なものも成功させられるから面白いということは当然あるだろうが、昨年と一昨年、そのずっと昔から、文化祭の醍醐味というのは、誰かと協力して作品を完成させる、という達成感にあるのではないだろうか。何を目指したかではなく、誰とどのような努力や工夫をしたかという、結果ではないそれまでの過程に、文化祭の真価があるのだと思う。

私はこのことに、コロナ禍でなければ気づけなかったと思う。当たり前だったことが出来なくなって尚、変わらない雰囲気があることにハッとさせられた。一度、環境や視点を変えることで、気づけなかったことに気づけるのかもしれない。

『Open the window』というテーマは、今年度の文化祭にピッタリだと思う。窓を開ける。初めは換気のことかな、と思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。

これまでの文化祭では予想もつかないような今年度の文化祭は、出来ないことばかりと悲観するだけではなく、来年になっても変えたくないものや今後生かしたいことを吸収できるといいなと思う。コロナ禍での変化をマイナスにとらえるのではなく、一度窓を開けて、視界を広げてみるといいと思う。来年か再来年か、あるいはもっと先かもしれないが、一昨年までのような文化祭ができるようになったら、新しい風を吹き込めるように。

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