春の修養会

3月23日から25日まで、春の修養会が行われました。自由参加のプログラムで、今年は中1から3月に卒業した高3まで、145名の生徒が参加しました。講師に安行教会の田中かおる牧師をお迎えして、「大人とは?」というテーマで講演を伺い、また学年を超えてディスカッションの時を持ちました。また3月で退任した風間晴子前院長とも良い交わりの時を持ちました。2名の生徒の感想文を紹介いたします。

ディスカッションの記録
学年の枠を超えてのディスカッション
田中かおる先生の講演

「修養会を終えて」 中2生徒

修養会に参加するまでは、自分はもう子どもでなく大人であると思っていた。中学生になり、それまでよりできることの範囲が広がったとともにやらなければいけないことも増えたからだ。
様々な人たちとのディスカッションの中で、大人とは自分の中に「芯」を持ち、考えを表現することができ、さらに他人の意見を聞いて思いやることのできる、理性的で優しさを持った自立している人、という意見が多く出た。特に、「理性的」「芯のある」という言葉が目立っていたように思う。この「芯」とは自分の中の強い志や目標、信念のことで、経験、特に失敗して嫌でも己の弱さに向き合わなければいけないような経験や、あきらめずに努力を続けた経験を重ねていくことによって、太く揺るぎない確かなものになっていく。自分は大人だと思っていたが、「芯」があるのかと問われれば何も答えられないだろう。無いに等しいからだ。自分の中に目標や信念、夢なんていう大それたものはなく、周りの空気を読み、流されて漠然とした日々を意味もなく中途半端に生きてきたように思う。理性なんてものは皆無で、感情的になることもしばしば。女子学院に入学してからは、勉強もできず特技もなく、自分がここにいるのは場違いだと思ってしまうこともあり、そんな自分が嫌いだった。修養会を通して自分はまだまだ大人になりきれていない、むしろ子供であると強く実感した。また、「大人は他人を愛することができる」「隣人愛を持っている」という意見もあった。それに対して、自分を愛せて初めて他人も愛せるから、大人とは自己肯定できる人だという意見があり、大人になるには自分の中の弱さに目を向けて受け入れたうえで、自己を肯定することがまず大切になってくるのだと思った。
風間前院長先生にお話をお伺いしたときに、理想の大人とは自分の参照軸を持っている人で、本当に正しいことを追い、言いたいことは言うが責任も持っている人、自分をしばらずにいろいろなことにチャレンジし、常に自分が何者か問い続けながら生きる人だとおっしゃった。私には「軸」や「芯」と呼べるものはない。自分が大人だと思っていたのは周りから子ども扱いされなくなり、できることが増えて調子にのっていたからだ。こんな私が大人になれるか不安だが、高3の方が「今」の積み重ねが大事、中高で自分の気持ちを見つめて物事に意味を見つけようとする姿勢を持ち続けるべき、迷い続けて理想を求め続けたどんな経験も価値があり、昨日より今日は確実に成長しているから焦らなくても良いと言われた。中高時代を終え、本格的に大人へとなっていく高3の先輩方のお話は、胸に響くと同時に安心を与えてくれた。この中高時代で自己を見つめ直し、自分の中で揺るぎないもの、「芯」を確立して、胸を張って自分は大人だと言えるような立派な大人になりたい。

「修養会に参加して」 中3生徒

「大人とは」 最初にその問いを聞いたとき、すぐに思ったのは二十歳(はたち)。でももちろんそんな当たり前のことを聞かれたわけではないだろう。私は、今までの自分があと5,6年すれば大人になると思い、大人について深く考えてこなかったことに気がついた。そう気づかされて、修養会前に私は「自分に責任が持てる人」こそ大人だと考えた。だが、修養会に参加してたくさんの人の意見を聞いて、私はまだ広い視野を持てておらず、未熟だったのだと痛感した。
講師の田中かおる先生は、ご自身の子どものころの家庭の様子をお話しされた。そのとき「愛」という言葉を多く使っていらしたように思う。けれども私は、「愛」と「大人」というのをうまく結びつけることができなかった。しかしディスカッションでいろいろな人の意見を聞くうちに、徐々に分かってきたような気がした。私が最終的に「愛」と「大人」はこう結びつくのか、と感じることができたのは最終日の全体会である人の意見を聞いたときだ。その人は「隣人を愛することができる人」こそ大人であるという考えを述べていた。この考えでは、ただ他人を愛するのではなく、前提に「自分を愛している」ということがある。「愛する」という行為で最も大切なのは、「知る」ことだと思う。その中でも特に重要なのは、弱さを知ることだ。自分の弱さを知ったうえで自分を愛するというのはなかなか難しいかもしれない。だがその人はそれができる人、そしてさらに自分を知ったうえでそれを活かし、他者の弱さも知って愛せる人こそ大人だと言っていた。弱さを愛する、と聞いて自分のことを甘やかして、許しているような気がする人もいるだろう。しかし、弱さを受け入れられ、さらに他者のことを考えられる心の余裕を持てることは、精神的な大人への成長にとって、とても大切なのだと思う。責任や常識を持ったうえで、どうやって自他ともに愛せるかが分かる人こそ大人だ、と私は思った。
今の私は自分、他者を愛せているだろうか。そう考えてみると、自分のことは愛せていると思う。自分が完璧でなく、弱さがあることを知っていても、自分のすべてを理解しきれていなくても、自分というのは大切で、私だけでなく生きている限り皆どこかで自分を愛していると思う。では他人のことは愛せているだろうか。正直、今の私には分からない。一緒にいたい、大切にしたい、と思える家族や友人はいるが、それだけで他人を愛していると言えるのだろうか。「他人を愛する」ということがまず、自分の中でよく分かっていないのだ。ただ、自分が他人に愛されているな、と感じるときはある。それは相手にとって何の利益にもならないが、ただ自分のことを思って接してくれるときだ。例えば両親からの愛。JGに入学を志した私に反対せず、最後までサポートしてくれ、学校選びも私の意見を尊重して入学させてくれた両親にはとても感謝しているし、愛されているな、と思う。友達も同じように、自分を思って接してくれる人もいるが「友達から愛される」というのはあまりしっくりこない。やはり「愛する」というのが分かるようになること、またそんな言葉が似合うようになるのも、精神的な大人への成長と深く結びついてくると感じた。自分なりにテーマに答えを出してはみたが、結局他人を愛することが分かるようにならなければ、精神的に成熟した大人にはなれないと思う。
だから私は、これからたくさんの人と関わっていこうと思った。今「愛する」という言葉にこだわる必要はなく、たくさんの人とたくさんの経験を積み重ね、その人たちの意見を聞いたり、気持ちを考えたりすることで、他者を愛することにつながる、もしくは他者の愛し方を知ることができるのではないかと考えたからだ。そういう意味では、修養会も他人の意見をたくさん聞くことのできる素晴らしい場だ。今回は私にとって2回目の修養会だったが、去年は周りに流されて参加したところもあり、漠然としたテーマから個々のしっかりとした意見をもってディスカッションをしている上級生の姿に衝撃を受けた。去年の修養会での自分を反省し、今年は他人の意見を吸収しながら自分の意見を深めてディスカッションをすることができた。こうしてみると、私は修養会によって成長したと感じる。
修養会前は、自分がどう成長して大人になっていくのか、自分にしか視点がなかったが、修養会で他者と関わることが自分を成長させると学んだ。自分の狭く未熟な考えを改め、これから他者とのかかわりの中で「隣人を愛する」とはどういうことか、そしてどうしたら精神的に成熟した大人になれるのかを探していきたい。

◆ 院長就任式が行われました ◆
4月20日(水)、女子学院の講堂において鵜﨑創院長の就任式が行われました。厳かな礼拝形式で行われ、キリスト教学校教育同盟理事長の佐藤東洋士先生(桜美林学園理事長)よりご祝辞を賜りました。学校からは同窓会会長、JG会委員長、校内理事、生徒代表が歓迎の言葉をのべ、鵜﨑院長も就任にあたっての挨拶をのべました。高校生徒会長による生徒代表の挨拶を掲載いたします。

鵜崎院長の就任の挨拶
高校生徒会長による歓迎の挨拶

生徒代表歓迎のあいさつ

鵜﨑先生、女子学院にようこそお越しくださいました。先生をこの学校の院長先生としてお迎えできることをとても嬉しく思います。
鵜﨑先生の落ち着きのある声と優しい笑顔はとても印象的で、まるで私たちを包み込んでいるかのように感じました。
女子学院の特徴として「自由を重んじる」ことの他に「個性を大事にする」ことが言えると思います。JG生が大事にしているこの「個性」というのは、自分の個性はもちろん、友人の個性も含まれています。相手と自分、それぞれがもっている個人としての違いを個性として互いに認め合い、自分が周りと違うことを自分の「誇り」としている。そのため、JG生は同じ型にはまることは決してなく、性格も人それぞれ。だからもしあるJG生が、落ちている空き缶を見つけて缶蹴りを始めても、ある人は缶を振って中にコインが入っていないか確かめたり、ある人はその缶をそっとごみ箱に捨てたり、ある人は漫画を読むのに夢中で缶が落ちていることにすら気づかなかったり、ある人は缶をたくさん集めてオブジェを作り出したり、きっと色々なJG生がいるはずです。まさしく十人十色。そしてそのようなJG生たちが協力しあい、団結することで、個々の色がさらに際立ちつつも多彩なJGの色ができあがっていきます。様々な色が行き交い、混じり合うこのJGが私は大好きです。
そして今日、こうして鵜﨑先生を迎えた今、JGにまた新たな色が加わったように感じます。これから、普段の授業や礼拝に加え、体育祭、文化祭、遠足、クリスマス礼拝とたくさんの行事があり、その度に一人ひとりの色、そしてJGの色が感じられると思います。そのようなこれからの学校生活を、鵜﨑院長先生とともに送れることをとても楽しみにしています。これからどうぞよろしくお願いいたします。

生徒代表 高校生徒会長

 

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