高校一年生「ひろしまの旅」報告礼拝を紹介します
10月19日~21日に高校一年生「ひろしまの旅」が行われました。直接ひろしまの地を訪れることができたのは三年ぶりです。11月18日に行われた報告礼拝を紹介します。
私がひろしま委員になろうと思ったのには、自分を変えたいという思いがあったからだ。幼少期からの平和学習を通して、「戦争はいけない」「原爆の悲劇を二度と繰り返してはいけない」という考えが、自分の中に染みついていた。ドキュメンタリー番組を観たり平和講演を聞いても、どこかにそれを当たり前とする自分がいて、それ以上の具体的なことを自分で深く考えてこなかった。委員になれば、委員として携わる多くの機会を通して深く自分事として考えられると思った。事前学習では、委員だったことで自分とは違った考えや異なった視点からの考えにより多く触れることができた。そして、ほかの人の考えの理由や根拠を考えることで自分の考えも深めることができた。けれど、私にとって最も貴重な経験となったのはやはり、直接現地に行ったひろしまの旅だったと思う。私は特に被爆者の方である増岡さんとの懇談が最も印象に残っている。少人数で行われたため、「全体に話しかける」のではなく、目を合わせながら、まるで自分に向かって自分のために話してくださっているように感じた。また、マイク越しではなく、生の声でお話ししてくださったことで、被爆当時の被害の生々しさを感じた。
その中でも私が最も印象に残っているのは、私が抱いたある疑問に増岡さんが答えたその言葉である。増岡さんはお話の中で、原爆をエノラ・ゲイから落とした人は震えていただろうか、家族のことを思っていただろうか、とその人の心に思いを馳せていらっしゃった。私だったら、自分の身体と心に大きな傷を与え、家族や友人などの自分に近しい人の命を奪った原爆は絶対に許せないし、落とした人を憎み、恨んでいるだろう、と思っていた。加害者に思いを馳せる増岡さんのお話は私にとても大きな驚きを与えるものだった。そこで増岡さんに「原爆を落とした人を憎んでいるか」という質問をしてみた。その質問に対し増岡さんは、「原爆を落とした人を憎んでもしょうがない。そもそもの原因は戦争にある。落とした人を憎み、恨むということは、自分の周りの人を憎み、恨むことと同じだ。」とおっしゃった。そんな答えを聞いて、今まで私が持っていた考えが恥ずかしくなってしまった。それまでの私は、なぜアメリカは原爆を落としたのか、あんな被害が出るとわかっていて原爆を落としたのか、とアメリカを非難するような気持ちでいた。それは碑めぐりや資料館見学をした後もそう考えていた。しかし、その考えは、当事者ならまだしも実際に関わっていない自分が勝手に被爆者の思いを想像して被害者のように振舞っていただけなのだと気づかされた。被爆者の思いを理解したつもり、分かったつもりになって、一方的に非難することで自分が「正しい」と思い込んでいたのだ。戦争では、戦う人のどちらも加害者になりうるが、そこに加害者となった人の意思が必ずしも入っているとは限らない。なのに、一度相手を「悪」とみなしてしまうと、お互いに憎しみあって、結局は憎むべき戦争が終わらなくなってしまう。大切なことは、たとえ相手と考え方が違うとしても、否定せず相手を認める。そんなことを増岡さんのお話を聞いて思った。そして、原爆も戦争も経験していない私が、被爆者の方と同じように語っても説得力はないけれど、より多くの事実を知ろうと学び続け、自分の言葉で整理して、そこから何か一言二言だけでも家族や友人などの周りの人に伝えてみるということが私にできることだと分かった。「戦争はいけない」「原爆の悲劇を二度と繰り返してはいけない」という結論だけではなく、事実とそれを知る過程で感じた恐怖などの感情を伝えることで、周りの人たちが、平和、戦争、原爆について考えるきっかけを作ることが大切なのだ。そして平和を考える輪が広がっていくとき、少しずつでも平和に近づくのだと思う。この気づきを得ることができたこと、これがひろしまの旅の意味のひとつだと思う。ひろしまの旅にかかわった多くの人と、広島に行くことができたこと、これらに感謝したい。