行事報告

行事報告◇

1月11日に授業が始まって以来、たくさんの行事がありました。

18日(火) 高1は昼休みに、体育の時間に創作した新体操を各クラス2グループずつが披露しました。それぞれ工夫がなされていました。

 

19日(水) LHRに中1は体育館でカルタ大会をしました。皆、真剣です。

 

22日(土) 中3クラス劇発表会 9:15~4:20
A組 「The sound of Music」
B組 「贋作 罪と罰」
C組 「銀河旋律」
D組 「CRIMER」
E組 「WEST SIDE STORY」(写真2枚)

12月号で浅田次郎さんの講演(高校)があったことを紹介しました。その折の感想文を次に掲載します。

浅田次郎氏の講演の感想文

「言葉」で始まる可能性
「初めに言葉ありき」…つくづくいい言葉を教えていただいたと思う。浅田さんの真似ではないが、私にとってもこの言葉は一生の宝になりそうである。
私の将来の夢。職業こそ違うが、言葉を読み書きするという点で共通しているだけあり、私の未来を少し見ることができたと思っている。私にとって読み書きとは、一種の自己表現であるため、浅田さんのお話には納得できる部分がものすごく多かった。
確かに私は今、情報社会と呼ばれる時代に生きている。ありすぎる情報の中、自分で自分を裏切らないようにするためにもやはり読書と言う行為はとても重要なのだろう。教養をある程度身につけた自分には、多少なりとも色がつく。たとえ映像化されていても本より情報が少ないと、その映像の背景には色がつかない。本からの教養で色がついている自分は、真っ白な背景に埋もれることなく見つけ出すのが容易になるのと同じで、情報に埋もれることはないと思う。
読書と言う行為には、本当は私たちが考えているよりもずっと秘めた可能性があるのではないか、そう思った。教養、想像力、自分と周りを見つめなおす優しい心…本には素晴らしい神が宿っている。その神は本だけにではなく、作家にも、読者にも宿っているということを、教えていただいたような気がする。
初めに言葉ありき」…人のすべての始まりである言葉を、私たちはもっと大切にするべきである。

講演会を聞いて
私は時々詩を書く。といっても気が向いたときに書き留めるだけだが。そのせいだろうか、先生のおっしゃる「書くことの楽しさ」が少しわかる気がした。簡単に変換できる機械を使ってでは、気づかなかっただろう日本語の奥深さ。ひらがな、カタカナ、漢字…。自分で書くことによって「どれを使うのも自由だ。」と言うことにはじめて気付く。そして、どれを使えば一番自分の気持ちを表現できるかを考える。後々自分に何と読ませたいのか、どんな意味で読ませたいのか。
「国境」は「こっきょう」かもしれないし、「くにざかい」かもしれない。「大切なもの」は「物」なのか、「者」なのか。それを考えて欲しくて「モノ」と書くこともできる。
こんな日本語が持つ可能性を、私たちは見失いつつある。身近なだけに、見落とされがちな日本語の素晴らしさ。先生のお話でそれを実感し、これからも書き続けたい(今度からは縦書きで)と思った。

本の読み方
私は小説を読むのが嫌いだ。小説と言う架空の世界に描かれる架空の人物の人生に触れることは、その瞬間は楽しいことだ。しかし、小説を読み終えた時に直面するのは、その小説の中とは打って変わった自分の生きている現実である。小説の世界は、多くの場合現実よりも美化されている。それゆえ、現実に戻ったときには虚無感が残る。私はこの虚無感がたまらなくいやなのだ。
しかし、今回浅田先生の講演を聞き、小説に対する考えが大きく変わった。そのきっかけは、先生の「小説は娯楽だ」という一言だった。先生自身、小説が好きで、だからこそ中学生の頃から毎日欠かさず本を読んでこられたとおっしゃっていた。勉強のように自分が嫌いなものだったら、こうまで継続することはできなかった、と。一方で私は、忙しい毎日の中で、何とか細切れの時間を見つけて読書に充てている状態だ。それも、ただでさえたりない時間を割いて読書をしているのだから、ひとつでも多くの知識を得ようと貪欲になりすぎている。この「多くの知識を得る」目的には、小説はそぐわない。先に、小説は現実に帰ったときの虚無感がいやだと述べたが、それも結局、自分が小説を通じて得た知識の少なさに気付くことが、まるで時間を無駄使いしてしまったように思えて怖かったのだ。
「小説は娯楽だ」という言葉は、私の読書体制にもっと余裕を持て、という警告を与えた。今すぐに小説が好きになれるわけでないだろうが、とりあえずは気楽な心の赴くままの読書を試してみよう。その先には、ただの知識よりも遥かに豊かな何かを得た自分があることを期待している。

「講演を伺って―読み書きの大切さ―」
思わず何度も頷いてしまった。テレビと比較したときの本の情報量の多さ。本が人の心を豊かにすること。読み書きの大切さ。全てにおいて自分のテンションを上げていないと、受け取るべきものも逃してしまうこと。何度も笑い、気付けば浅田先生の虜だった。
私は先生の本を読んだことがなかったが、読み書きが本当に好きだ。本を読んでいると、一見白い紙と黒い文字のモノクロの世界のようで、そこには言葉では表しきれないほどの世界が広がっている。色、重さ、厚み、質感。軽い単行本を片手に持ちながら、手では到底抱えきれないそれらの重みを、心でぎゅっと受け止めるのが快感だ。
そしてその時、必ず誰もが“一人”になっている。人との関係の中で成長することは大いにあるが、本当の精神的孤独が心を育てる。
一人、静かな一時を、本とともに過ごす―そのとき働かせる想像力は、人生の糧となると思う。そしてそれは書くという行為においても同様であり、むしろより大きく自己の世界が広がっていくと思う。
読み、書き、感じる。それこそが、私の生をより豊かにしていく、そう改めて実感させられた。

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