卒業生の話
◇卒業生の話◇
高1ではロングホームルームの時間に卒業生の話を聞く会が開かれます。今年は1月27日と2月10日に開かれました。現在、社会で活躍している先輩を呼んで話を聞き、自分の将来を考える糧にしています。今年は朝日新聞社で編集を担当している坂本真子さん、株式会社日本設計で建築設計を担当している岡田曜子さんと山本僚子さんに来ていただいてとっても有意義なお話を伺いました。
◇中学入学試験が終わりました◇
◇信教の自由を守る礼拝◇
2月10日の朝は「建国記念の日」を前にして女子学院では毎年「信教の自由を守る礼拝」を、いつもより10分間延長して行っております。今年は紅葉坂教会の北村慈郎牧師に礼拝をしていただきました。次に礼拝の概要を掲載いたします。
信教の自由の日を覚えて
2005.2.10
紅葉坂教会牧師 北村慈郎
(1) 2月11日は日本の国の祝日の一つです。「建国記念日」と呼ばれていますが、私たちキリスト教の関係者は、「信教の自由を守る日」と呼んでいます。
「建国記念日」と「信教の自由を守る日」、2月11日をどちらの呼び方で呼ぶかによって、その人の2月11日の捉え方が相反することになります。
あなたはどちらで呼びますか?
(2) 『ヨハネによる福音書』の箇所には、ローマ帝国の権力を代表する総督ピラトとイエスさまの問答が記されています。これはある種の裁判の記事と見てよいでしょう。イエスさまの時代のユダヤ社会では、権力の構造が二重になっていました。ユダヤの社会で起こる問題の裁判はサンヒドリンというユダヤ人の会議で取り扱っていました。しかし、そのユダヤ人の会議には死刑執行権はありませんでした。死刑執行権はユダヤ人を属州として支配していたローマ帝国から派遣されていた総督にありました。
(3) ローマ帝国の総督ピラトとイエスさまの問答の内容は、イエスさまが死刑に値する人物であるかどうかということです。何故なら、ユダヤ人の議会の長である大祭司がイエスさまをピラトのところに送って、ピラトに死刑の判決とその執行を求めたからです。イエスさまがユダヤ人の大切にしていた決まりを破り、エルサレム神殿の庭にいた商売人を追い出したりして、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」などと言ったからです。
(4) このピラトとの問答の中でのイエスさまの一つの言葉に注目したいと思います。それは、18章36節です。特に「わたしの国は、この世には属していない」というところです。(36節全体を参照)。『フィリピの信徒への手紙』3章20節で、その手紙の著者パウロも「わたしたちの本国は天にあります」(口語訳聖書では「わたしたちの国籍は天にある」)と語っています。
(5) ピラトとの問答において、イエスさまは決して卑屈になることなく、正々堂々とした態度で臨んでいます。「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」(37節)というイエスさまの言葉に対して、ピラトは「真理とは何か」(38節)と言ったといいます。ここに至ってピラトとイエスさまとの、問い・問われる関係が逆転しているかのようです。問うピラトが逆にイエスさまによって問われているのです。
(6) 実は、この『ヨハネの物語』には、イエスさまを通して私たち一人一人もこの世に属していないイエスさまの国の住人として、本来神様に生かされてこの世を生きているものではないかという語りかけが含まれていると思います。その意味で、私たち一人一人の命は国より大きく、重いのです。
もしそうだとすれば、この世に束縛されないイエスさまの自由を私たちも生きることができるのではないでしょうか。そして、その自由を持ってこの世の国をイエスさまの国にふさわしく作り直していく仕事が、私たちに与えられた宿題ではないでしょうか。最も小さく弱い人が最も大切にされる国作りです。
(7) ぜひ、「わたしの国は、この世に属していない」というイエスさまの言葉を、今年の2月11日を迎えるこの時期に日本の国のことと共に考えてみてください。
◇中学講演会◇
2月16日 中学講演会 ロングホームルーム
アニメの世界で活躍中の高畑勲さんをお迎えして「ドキドキとハラハラ~映画を作りながら考えたこと」という題のお話をお伺いしました。
高畑勲さんの講演を聞いて
今回の講演会ではジブリより高畑勲さんが来られた。私はジブリ映画が結構好きなので高畑さんのお話をとても楽しみにしていた。テーマは「ドキドキとハラハラ。」そもそもドキドキとハラハラの違いとは、自分が中心で考えるか他人を思うかにあるらしい。ドキドキは自分が体験しているときに感じること。ハラハラは他人の行動を見ていて感じることだそうだ。映画を作る上で重視しがちなのはドキドキであるらしいが、大切なのはハラハラにあるという。それは自分が体験したことというのはすぐに忘れてしまうが他人の体験を見てハラハラしたことは記憶に残ってそれから学ぶことができるからだそうだ。私は今の生活でドキドキにあふれているが、ハラハラと感じることが少ないように感じた。自分だけ楽しかったりうまくできたらそれで満足して他人にまで目を向けていなかった。人間にはエゴがあって、どうしても自分中心に考えてしまうという話を前に聞いたことがあり、その話と今日の話が重なった。いくら他人のことを見ているつもりでもやはり自分が大切だから他人から学ぶところまで進めない。また、逆に他人の短所ばかりが見えてくることがある。聖書にもある話だが、自分を見ないで他人の短所ばかり見てしまっている。他の人が居ないと自分が成長しないのは分かっていても実際に学ぼうとしていない。これからは更に視野を広める努力が必要だと感じた。(中2)
高畑勲さんのお話を聞いて
私には「こうなりたい!」というはっきりした夢がない。というよりも「どうせ自分には無理」という根拠なしの消極的な考えによって自分から可能性を絶っていたのだと思う。そして、いつも将来への不安感があった。しかし、今日の講演会を聞き、この将来への不安が少し解消されたように思う。
「ドキドキしていたら、他のところへ踏み出せない。イキイキしていない。」高畑さんはこんなことを言っていた。(と思う。)私は、それを聞き、じぶんはいままでドキドキしすぎていたことに気がついた。また、高畑さんはこんなことも言っていた。「夢に向かっていく積み重ねが大事。夢が違うものになってしまってもいい。」
この言葉を聞いた瞬間、本当に安心した。また、今までの自分を客観的に見ることのできた瞬間でもあった。今まで、自分の将来についてちまちまと悩んでいる自分が馬鹿っぽく思えたのだ。
私は高畑さんのお話を聞くことができて、本当によかった。やっぱり、ドキドキしすぎて外の世界に踏み出せないでいるのは嫌だ。どうせ一度きりの人生なのだから自分の夢に向かい、生き生きしていたい。客観的に自分を見て、ハラハラしていたい。私の生き方をも変えてしまうようなお話をしてくださった高畑さんに感謝したい。(中3)
◇パイプオルガン発表会◇
2月17日 昼休み12:45~1:15
高校2年生のオルガン選択者による「パイプオルガン発表会」が開かれました。初心者の3人が1年足らずでよくもここまでと思われるほど、堂々と美しい音色を講堂に響かせました。以下にプログラムを紹介します。
「高きにいます神にのみ栄光あれ」 F.W.ツァハウ
「我が心の底より」によるフゲッタ J.C.バッハ
「草木も眠る」によるフゲッタ J.S.バッハ
「主イエス・キリストよ、我らを顧みたまえ」によるフゲッタ J.S.バッハ
「甘き喜びのうちに」 J.S.バッハ
「前奏曲とフーガ ト長調」(8つの小前奏曲とフーガより
◇資料室より◇
青山霊園外人墓地と女子学院
青山霊園のミセス・ツルーのお墓について、昨年10月からこの2月にかけて、同窓生をはじめ5名の方々からご心配の連絡をいただきました。
何故かというと、昨年10月1日付けで東京都から「2005年10月1日までに申し出がなければ、無縁仏として改葬する」との立て札が、青山霊園外人墓地に多数立てられました。それを見た方が「立て札を知っていますか」と心配して、お電話やお便りを下さったのです。
青山霊園外人墓地は1877年に開設され、幕末から明治にかけて来日した医師、技術者、教師、外交官、宣教師らの墓があります。女子学院関係者では、ミセス・ツルー(1896年没)とミス・アレキサンダー(1904年没)の教師2名と教師ミス・メリケンの父(1904年娘を訪ね来日中に客死)の3名が眠っています。
特にご心配をいただいたのはミセス・ツルーのお墓でした。ツルーは「日本の女子教育は日本女性の手によって完成されるべきものである」という信念のもとに、矢嶋楫子等の陰になりながらも、女子学院の土台を築いた人物です。また1884年には幼稚保育科、1886年には看護婦養成所を開設しました。
2月に入りご連絡を下さったのは日本看護歴史学会の会員の方で「桜井女学校とツルー女史のお名前は、看護師なら必ず学生の時に学んでいるほど知られております。」とツルーの墓を心配してのお便りでした。
女子学院はすでに昨年の10月末に墓地に行き霊園課に問い合わせ等をし、手続きする方向で他校と連絡を取るなど準備をしているところです。ただ手続きを終了するまでは立て札ははずせないとのことで、女子学院が知っていることをどう示したらいいか悩んでいるうちに、こんなにも多くの方からご連絡をいただき、その関心の高さに驚くと共に感謝しております。
ただ、女子学院や現在関係者が確認できるお墓はよいのですが、そうでない方々のお墓がどうなるのか、心配しているところです。
<資料室委員会>