中3東北旅行

◇中3東北旅行◇

前班は5月9日(月)~12日(木)、後班は10日(火)~13日(金)の日程で、東北に修学旅行に行きました。
今年は3日目に地引網の体験学習を予定していましたが、前班はあいにくの天候でなまはげのケデ作りを行いました。縄をなうことから始まり、最後はなまはげに扮装して記念写真を撮り、得がたい経験をしました。
後班は予定の地引網を体験でき、収穫した魚の味噌汁に舌鼓を打ちました。
簡単な日程、旅行中の様子、1日目と2日目の旅の記録のノートをご覧ください。

1日目 毛越寺、中尊寺、宮沢賢治記念館、鹿踊り・鬼剣舞鑑賞(宿舎にて)
2日目 啄木資料館、小岩井農場、角館、なまはげ伝承館、入道崎
3日目 体験学習、大潟村(見学・講演)、十和田湖、津軽三味線鑑賞(宿舎にて)
4日目 奥入瀬渓谷、八幡平(雪すべり)

1日目
2日目

◇体育祭が終わりました◇

5月28日(金)東京体育館にて体育祭が行われました。何週間も前から競技練習や応援練習に各学年熱心に取り組み、その成果が存分に発揮されました。当日のプログラムと、各学年の応援などの様子、大玉送りの動画をご覧ください。

【午前の部】

《開会式》
1. 礼拝
2. 院長先生のお話
3. 選手宣誓・優勝杯返還
4. 全校体操

1. 大玉送り
2/ 短距離走
3. インディアンリレー
4. 玉入れ
5. ハングリーダッシュ
6. 台風の目
7. お玉でポン!(教職員・保護者種目)
8. 中2マスゲ-ム
9. 学年対抗リレ-(予選)

【午後の部】

10. 応援
11. 障害物競走
12. 波乗りパイレ-ツ
13. 一休さん
14. 背水之陣
15. 渚のカウボーイ
16. 高3マスゲーム
17. 学年対抗リレ-(本選)

《閉会式》
1. 全校体操
2. 成績発表
3. 優勝杯授与
4. 院長先生のお話

◇アジア・エキュメニカルウィーク礼拝◇

今年も5月16日~20日の間、全校でアジア・エキュメニカル・ウィークの特別礼拝を守りました。どの先生のお話もとても内容が濃く、深く考えさせられました。牧野先生のお話と、中2と中3の感想を掲載します。
〈アジア・エキュメニカル・ウィークとは〉
教会では、聖霊降臨日(ペンテコステ)の前の一週間をアジアの教会に関心を寄せて、アジア祈祷週間としてアジアの抱えるさまざまな重荷を担い合うことを考えています。今年女子学院では、ペンテコステ後の週の礼拝に特別に講師をお迎えして、アジアの問題と合わせて世界の問題を考え、祈ります。
〈2005年テーマ〉
 《すべての人々のための平和を築く共同体》
インド洋の津波被害によって、多くの人が住処を失い、失業し、医療不足にあえいでいます。その地域に心を合わせ、手を差し伸べることが今年のテーマです。

〈日程〉

5月16日(月)(高校:講堂 中学:放送 20分)
山本俊正先生 『すべての人々のための平和の共同体を築く』

17日(火)(中学:講堂 高校:放送 20分)
牧野由紀子先生 『命の価値』

18日(水)(高校)
多田恵先生 『台湾に与えられた苦難と希望』

19日(木)(中学)
田村治郎先生 『希望に生きる』

20日(金)(高校)
魚屋義明先生 『隣人を愛する』

 

〈お話いただいた先生〉
山本俊正先生 日本キリスト教協議会 総幹事
今年のアジア・エキュメニカル・ウィークのテーマについてお話しいただきます。

牧野由紀子先生
インド・アラハバードで、農業青年指導者の育成・農村婦人自立のための指導者の育成のために、働いておられます。

多田恵先生
大学院で、台湾語の言語研究をしておいでです。

田村治郎先生 日本国際飢餓対策機構・広島事務所長
世界の飢えた人々に食糧と愛を…アジア・アフリカ・中南米で、物心両面の飢餓対
策に当たっている組織に所属していらっしゃいます。

魚屋義明先生 (本校教員)
カンボジアでのキャンプ体験を話してくださいました。

〈特別献金について〉
インド洋津波の被害地の復旧活動、その他お話いただいた先生の諸活動を支援します。

命の価値
牧野由紀子先生 ヨハネによる福音書3章16節

1.手のひらを太陽に一人ひとりの命
皆さんは、「手のひらを太陽に」という歌をご存知ですか。手のひらを太陽に照らしてみれば、真っ赤な血潮が流れています。おけらだって、あめんぼだって、皆皆生きているんだ友達なんだ、という歌で、虫けらでも、どんなものにも命があることを歌っています。

2.路上に生きる子供たち
私は、現在デリーで、路上生活をしている子供たちを助ける仕事をしています。その子供たちは家が貧しくて、学校に行けなかったり、災害で家が流されてしまったり、父親の暴力で逃げてきたり、働いて家に仕送りをしたくてと理由はまちまちですが、汽車に隠れて乗ってデリーに来ます。ところが彼らを待ち受けているのは、乞食や、麻薬の売人や、スリや泥棒の仲間に入れようとする暴力団です。それにホームレスの人たちから性的ないたずらをされたり、警察に捕まり拷問を受けたりします。そのため麻薬中毒になったり、あらゆる病気になり、道端で死んでいきます。

3.命を変える仕事
これらの子供たちは、デリーだけでも40万人に達します。その子供たちを救い出すため、彼らが集まるデリー駅のプラットホーム、食事を出すお寺やスラムなどで、小さなクラスを持って、彼らとコンタクトをとります。そして、駅の近くで私たちが運営するナイト・シェルターで宿泊や食事を与え、彼らを暴力団の手から守ります。そして彼らが通常の生活に戻れるようになると、アシャラヤムの本部に受け入れ、教育を与え、職業訓練をして、独立して社会に出るようにするのが、私たちの仕事です。私たちと出会わなければ、路上で虫けらのように死んでいったかもしれない少年少女たちです。

4.新しい生活を始める手伝い
彼らは絶望的な人生から、新しい命を与えられ、希望に満ちた生活を始めます。今、「希望の家」という名のアシャラヤムには、150人の子供たちが生活しています。アシャラヤムの仕事は、1997年25名のStreetChildrenのために別の場所で始められましたが、子供たちが増え続けるので、2000年、現在の場所に70人のStreetChildrenを保護するために建てられたものです。5年後の現在は、70人のための施設に150人が生活しているのです。朝礼をする部屋はすぐに食事の部屋に変わり、教室に変わり、ゲーム室になり、食事室、テレビ室、自習室、ヨガ室、催し物の講堂と七変化ならず、十変化、十五変化もするのです。その度に150人の子供たちは、右往左往するのです。外で遊ぶグランドもありません。

5.大きく羽ばたく命
昨年3月宣教師を引退する時に、友人の神父さんに誘われてアシャラヤムを見学に行きました。そこでこの混雑に出会い、またここにも入れないで、ナイト・シェルターで不安な日々を過ごしている子供たちに出会い、「子供村建設」の大きな夢が生まれました。「子供村」は、StreetChildrenが絶望の命から希望の命に変えられ、それらの命が更に大きく羽ばたくための村です。

6.人のために与える命
ヨハネ福音書3章16節にあるように、神様はご自分の一人息子を与えるほどに、私たちを愛して下さいました。神様は、このStreetChildrenに新しい命を与えるためにイエス様を送って下さったのです。更に、イエス様を信じる人が一人も減びないで、永遠の命を得ることが出来るように、命を大きく羽ばたかせて下さいました。
私たちは、これらのStreetChildrenの命が大きく羽ばたくために何を捧げることができるでしょうか。「子供村建設」のために、皆様のご協力をお願いいたします。

中2
「希望がほしい。」――スマトラ沖地震被災地で聞いた一人の男性が言った言葉だと、田村先生がお話してくださいました。礼拝でこの話を聞いて、その時は特に深く意味も考えず、ただこの言葉自体が何となく頭の中を浮遊していました。私は、今まで「希望」は自然にあるものだと思っていて、「ほしい」とは思ったことも、考えたこともなかったのです。「希望」なんて持とうと思えばいくらでも持てるとさえも思っていました。
昨年12月26日に起こった、スマトラ沖地震。私は今までに大地震を経験したことがないため、その恐怖というものは分かりませんでした。ところが、3月20日に起こった福岡県西方沖地震で、祖父母がその被害にあったのです。地震が起こったちょうどその時は、祖父母は大分へ出かけていたため無事でした。翌日夜、帰宅し家の中を見て驚き、私の家に電話をしてきました。父と私は後片付けの手伝いのため、急きょ福岡へ行きました。家の中はたんすや食器棚が倒れ、引き出しが飛び出したり、食器が落ちて割れてしまったりしていました。また、壁にもひびが入っていました。もし、そのとき祖父母が家にいたら、いた場所によっては大怪我を負っていたかもしれません。初めて大地震の被害を目の当たりにし、体感して、身近に感じて地震の本当の怖さを知ったような気がします。
スマトラ沖地震のことは、テレビのニュースなどで死亡者数が何人だとか、家が何棟倒壊したとか、表面上のことでしか知りませんでした。だから、今回のお話の中にあったような、家族が死んでしまったなどというとても生々しいことを聞いて、初めて「一人ひとりが苦しんでいるのだ。」という当たり前のことに気がつきました。
「食料もほしいし、衣服もほしい、けれど何より希望がほしい。」生きるだけで精一杯の中、この先どうなるのか全く分からないままで一日を過ごしている中、「希望」を持つこと、それがどれほど大変なことなのか。「希望」が持てることがとても幸せで、それをかなえられるということは、本当に本当に素晴らしいことだということが分かりました。世界中の一人ひとりが何かひとつ、小さなことでもいいから「希望」を持てるような、幸せな世の中になってほしい。それが私の今の「希望」です。

中3
今、この世界には裕福な人と貧乏な人がいます。私達と同じ地球上の、でも少し離れたところには、麻薬を売りつけられたり、売春させられたり、警官にリンチされたり、ひどい環境に身をおいている私と同じくらいの年齢の子供達がいます。そのことは皆さんも知っていると思います。では、その人達のことをどう思っていますか。
私は生まれた場所が違うだけで、こんなにも生活が違うなんて残酷だ、かわいそう、いつか幸せになれるといいなぁ、ユニセフとか、誰かの手によって救い出されてほしい、と思っていました。私に直接は全く関係のない、どこかの機関がやってるんだろうなぁと思っていました。しかし今、援助を必要としている人達がいて、その人達を実際に助けることができるのは、今生きている人だ、という当たり前のことに気づきました。今生きている人の中に私が含まれていないわけがありません。それなのに、私は自分とは全く関係のない話だと、他人事だと思っていました。皆さんの中にも困難な環境に置かれている子供のことをすごく親身になって考えている人は少ないと思います。例えば献金だって、お金をケチっている人は多いと思うし、私だって大した額を献金しているわけではありません。それに、そのお金が直接人を助けているわけではないし、そもそもそのお金だってもともと私達が働いたり努力したりして得たわけではありません。
確かに、今私達に直接できることなんてほとんどないと思います。だけど、気持ちだけでも変えて現状を理解したりすれば、それだけでも何かが変わるのではないかと思いました。なぜなら、誰でも同じ地球に住む同じ人間だからです。日本の憲法の中には、幸福権とか平等権があります。が、日本国憲法だからといって、日本人にだけ幸福権を保証すればよくて、ニューデリーの人には関係ない、というのはおかしいです。皆同じ人間、この言葉はこの学校に入る前からしばしば、入ってからはなおさら聞くようになりましたが、自分で使ってみてやっと、それがどういうことか分かってきた気がします。
そして、40年も子供達を守る活動を、つまり直接的に助ける働きを続けていらっしゃった牧野先生は本当にすごいな、と思いました。私達が献金をすると、小さな金額でもいいことをした気分になりますが、40年間も人生をかけてきた牧野先生の活動は自己満足でできるようなものではないと思います。命はひとつしかありません。人生は一回きりです。たった一度きりの人生を生きている人が、ひとつしかない命を守っている。これって、すごくいいなぁと思いました。命を懸けて頑張っていらっしゃる牧野先生は素敵な人だと思いました。この礼拝を聞いて、『生き方』について考えさせられました。
私は将来就きたい職業など、絶対これになる、といったようなものは特にありません。でもこれから将来のことを考えていくとき、妥協などせずに、命を懸けて頑張れるか、ということを重視していこうと思います。

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