中1オリエンテーションキャンプ◇
◇中1オリエンテーションキャンプ◇
6月9日(木)、10日(金)の2日間、中1は入学して初めての宿泊行事であるオリエンテーションキャンプに行きました。クラス別セッションや「ほうとう」作りを体験し、友達の輪が広がり、クラスの親睦をはかることができました。クラス別セッションでは、日頃親しんでいる讃美歌の曲に合わせて、JG生活をテーマにした歌詞をみんなで考えクラスソングにしました。
東京に帰ってきて書いた感想文と、クラスソングをご紹介します。
讃美歌は461番(作曲 William Batchelder Bradbury)、II 編189番(作曲William S.Pitts)です。
中一オリエンテーション合宿で
5月9、10日に中一オリエンテーション合宿で山梨県に行った。そこで、私が一番感動したのは、周りに広がる大きな自然である。
一日目、野鳥の森公園で昼食をとった。大きな森に囲まれて食べるお弁当は、一段とおいしく感じられ、食べ終わった後にはボールで遊んだ。いろんな所に飛んでいくボールを追いかけているうちに、あることに気がついた。それは、コンクリートやアスファルトでは感じられない、土のやわらかさだった。都会ではあまり見られない土。確かに雨が降るとぐちゃぐちゃになるし、靴も汚れる。けれども、土はなんとなく安心する。そのことを足はちゃんと分かっているのだろう。
野鳥の森公園を出発し、ホテル到着後の自由時間でのこと。みんなで楽しく遊んでいる時にアナウンスが流れた。今まで曇っていた空が晴れ、富士山が見えるという。急いで窓の方へ行くと、すぐ近くに大きく見えきれいだった。私の家からも晴れた日なら見ることができるが、ホテルから見える富士山とは比べ物にもならなかった。私は富士山に登ったことはないけれど、一度は登ってみたいと思った。
その後、夕食、クラス別セッション、全体集会があり、あっという間に一日が終わってしまった。なんて一日は短いんだろう…。
二日目は、朝7時からの西湖への散歩のために起床時間より30分早く起き、準備をした。さすがに朝なので空気は冷たく、ひんやりしていたけれど、気分がさっぱりとし気持ちがよい。西湖は透き通るような水ではなかったが、それなりにきれいで回りを囲む大きな山も言葉では表せないような自然の威厳のようなものが感じられる。時間も感じられず、ゆったりとした空気が流れていた。けれども、時間は進み朝の礼拝の時間が近づいてきた。「えーっ、もう?」、「はやーい。」などと話しながら西湖を後にした。
朝の礼拝の後、朝食をとり体験学習となった。郷土料理「ほうとう」作りで、私たちの昼食でもあった。麺を作った後はテントでの汁作り。まるで、キャンプに来ているかのようでうきうきした。出来上がったほうとうは、班のみんなで作った分、そして気持ちのよい屋外だった分、さらにおいしくなり大満足だった。
こうして二日目も終わりに近づき、帰りのバスではみんな行きよりも静かだった。けれども、だんだん騒がしくなり、私は隣の人とこの二日間のことを話し合った。それから、皆で歌を歌った。こうして、へとへとになって家に帰った。
都会は便利ではあるが大自然はない。これ以上、自然が少なくならないように、一人ひとりが気をつけなければならない。私はこの合宿を通してこう思った。
「ともだち」C組(讃美歌461“主われを愛す”にのせて)
1.
太陽しずみ 友達つれて
お喋りしつつ ふたりで歩く
一緒にいく 友達と
未来へと 進んでいく
2.
笑い合ったり 喧嘩もしたり
色々あるさ 友達だもの
一緒にいく 友達と
未来へと 進んでいく
3.
君の背中に 生えた翼は
僕の心を 優しく包む
一緒にいく 友達と
未来へと 羽ばたいていく
「JG生活」A組(讃美歌II-189“丘の上の教会へ”にのせて)
1.
朝は電車乗り遅れ 礼拝駆け込む
眠いし腹へるけれど 授業は真剣に聞く
ほら キンコンカンコン…
チャイムが鳴り響き 休み時間が来る
さあ 早く準備しなくちゃ 次は移動教室だ!
2.
あと10分で昼休み おなかSOS
もうすぐ腹の虫が泣く でも頑張って耐え抜く
ほら キンコンカンコン…
チャイムが鳴り響き 休み時間が来た
さあ お弁当を広げて ランチタイムの始まり!
3.
午後は腹が満たされ 睡魔がやってくる
でも 授業ちゃんと聞けば 睡魔は撃退できる
ほら キンコンカンコン…
チャイムが鳴り響き 帰りの時間さ
さあ 荷物詰めこんだら 鞄しょってまたあした!
◇ひろしま講演会◇
ひろしま講演会(ひろしまの旅へ向けて)
女子学院では、高1の夏休みに平和学習として広島を訪れています。例年それに先立って、ひろしま講演会が行われますが、今年は6月16日(木)高校のLHRに中3も加わり、井上ひさし原作、高木和雄監督、宮沢りえ・原田芳雄主演の映画「父と暮らせば」を鑑賞しました。高1の感想文を2編載せます。
高1はひろしまの旅へ向けて事前学習を行います。合わせてフィールドワークでの訪問先へお手製のお土産も用意します。今年は団扇を作りました。
「父と暮らせば」を観て
広島の原爆投下はたくさんの人の命を奪っただけでなく、生き残った人にも深い傷を負わせたのだと強く思った。むしろ、亡くなった人よりもその傷を抱えて生きていかなければならない、生き残った人の方が辛いのかもしれない。私はずっと、そのような人達のことを「生き残ったんだからまだましだ」と思っていた。本当に浅はかな考え方だったと思う。生き残ったとしても、被爆症で苦しんだり、この映画の美津江のように「なぜ生き残ってしまったのか」と自分を責める人もたくさんいただろうし、実際今でも8月6日の記憶に辛い思いをしている人は数え切れないほどいる。自分を責めて、あの時死ねばよかったと思いながら生きていくなんて、生きていることにならないと私は思う。つまり原爆は物質的にも人の命を奪い、その他にも生きていても命を持っていないような犠牲者も出してしまったのだ。
この間起こったJR福知山線の脱線事故で生き残った男性が、「亡くなった方に申し訳ない」と言っているのをテレビで見た。この人も、規模は違うがたくさんの人の命が奪われる事故・事件に巻き込まれ、罪悪感のようなものに苦しめられていた。しかし規模さえ違うけれど、原爆投下もこの事故も共通した部分があると思う。それは、「誰が一番悪い」なんて言えないというところだ。原爆を投下したのはアメリカだから、アメリカが悪いと考えられるかもしれないが、投下の元となった第二次世界大戦はもちろん日本も参戦していたし、そう考えると一概に「一番悪い」と決めつけることはできない。こうやって、色々な「悪いこと」が重なって恐ろしいことが起きてしまう可能性はいつもあるのだと思う。
しかし、その可能性をいつまでも放置しておくわけにはいかない。今、私達は本やテレビ、映画、写真などあらゆる手段で原爆の恐ろしさ、悲惨さを知ることができるのだから、それを生かし、もう二度と戦争や核爆発が起こらないように、可能性をひとつひとつ潰していかなければならないのだ。今は北朝鮮で核実験が起こるかもしれない、などと言われているが、それを黙って見過ごすのではなく、どうしたら止められるかを考えるべきだと思う。実際に戦争を経験した方々がいなくなったら、今度は私達が次の世代へと戦争や核の恐ろしさを伝えていかなければならない。この広島についての学習はそのためにあるのだと、やっと本当に理解できた気がする。原爆が投下されたときの写真や原爆ドームなど、思わず目をそらしたくなるものもいっぱいあるが、真正面から取り組んでいこうと思った。広島で実際に被爆者の方からお話を聞く機会もあるが、辛くて思い出したくもないようなことを私達に伝えてくださる、その想いを絶対に無駄にしないようにしようと心に決めた。
最初に配られたあらすじを読んだとき、何故この美津江は生き残ったことを負い目に感じるのか良く分からなかった。もし私なら、生きていることを幸せに思うのに、と思ったのだ。物語の途中、美津江は父に、自分ではなく親友が生き残るべきだったと言うシーンがあったが、私はその考えに同意できない。確かに彼女が生き残ったのは、親友にあてた手紙を落としてしまいそれを拾うためにしゃがんだ、という偶然だったが、偶然は偶然である。親友がそのときたまたま広島にいたということに至っては、美津江のせいでもなんでもない。しかしその後、美津江は親友の母親に言われた。「なんでうちの娘じゃなく、あんたが生きているの。」と。これを聞いたとき、私はショックだったが、一方で母親の気持ちも分かるような気がした。母親だって美津江のせいではないことくらい分かっているのだ。分かってはいるけれど、誰も責められずに美津江に当たってしまったのだろう。こんなことを言われた美津江も、それを言わずにはいられなかった母親も可哀想だと思った。
更に、後半部分で美津江は、顔が半分溶けたお地蔵さんを見て、自分が一番負い目を感じているのは父親に対してだと気づく。彼女は父親を捨てて逃げてしまったからだ。この部分は、とても深く考えてしまった。父親は美津江を恨んではいない。けれど、だからといって美津江は自分を許せないだろう。目の前で苦しむ人を見捨てれば、誰だって罪悪感にさいなまれるだろう。もし私だったら、その場を逃げられるだろうか。逃げたとして、その後何もなかったように幸せに暮らせるだろうか。私は初めて何故美津江が負い目を感じるのか分かった気がした。
原爆というと、多くの死者が出たということしか目に入っていなかったが、映画を観て、被害者はそれだけではないと気づいた。生き残った人々も、人生をめちゃめちゃにされたのだ。肉体的な傷、後遺症だってある。美津江も日々「いつ発病するか」と、おびえながら生きなければならない。また、それだけでなく精神的な傷、「幸せになってはいけない」という苦しみも原爆の大きな被害である。いったい何故、何の罪もない人達がこんな思いをしなければいけないのか。映画を観終わってから、悲しみと怒りがあふれてしょうがなかった。改めて戦争の残酷さを感じ、またそれを忘れないためにも今度の広島への旅で更に学ばなければならないと思った。