創立記念日
◇創立記念日◇
今年、女子学院は創立135周年を迎えました。
創立記念日集会に先立って、その前1週間の礼拝では、創立記念日にちなんだお話や、卒業生の教師のお話を聞きました。
10月24日の創立記念日では、記念礼拝の後、三谷民子(元院長)没後60年・矢嶋楫子(初代院長)没後80年を記念して、中学は大濱徹也先生(筑波大学名誉教授)に「三谷民子が問いかけたこと」、高校は高橋喜久江先生(日本キリスト教婦人矯風会元会長)に「女性の人権――先人たちのたたかいを継承して」という題でそれぞれ講演していただきました。生徒の感想文をそれぞれ載せます。
午後には、生徒有志が多磨霊園にある矢嶋楫子の墓に行きました
中2生徒
女子学院は、今年で創立135年になる。女子学院が創立した頃、つまり135年前には日本はまだ明治時代だった。女子学院が創立してから今日に至るまでに、日本には色々な変化があった。戦争もたくさんした。そんな中、今まで存続してきた女子学院はすごいと思う。そして大濱先生が話していた「女子学院を支えてきた精神のありか」について興味を持った。
三谷民子の問いかけの、「なぜ学校に来て学ぶのか」ということへの答えは「女子学院は何のためにあるのか」ということにつながると思う。その答えを民子は、「人としてあるための道を学び、行き方を考える」と言っていた。そして「学校で学んだことを社会に出たときに生かし、身の周りのことを自分の頭で考え直す」と言っていた。つまり女子学院は、「社会に出たときに、自律するために」あるのだと思う。
また、民子は「有喜世」といっていた。「うき世」にも「憂き世」や「浮き世」など色々あると大濱先生は言っていた。その中で「有喜世」とは、喜びのある世ということで、それは異質な他人に対して愛を持って生きるということだそうだ。異質な他人というのは外国人など文化の違う人や、考え方、意見の違う人のことだ。人は自分と共通の考えを持つ人や、自分と似ている人とは仲良くできるが、考え方や思想の違う人とは対立してしまう。その結果として戦争が起こったりするのだと思う。その中で異質な他人を愛するのは難しいことである。でももし、それを実行することができれば争いはなくなり、世界は平和になるだろう。そして民子は、「異質な他人を愛する」ためには「身の周りの文化を見つめ、探り、そして世界の文化を自分の目で読み取り、読み直していく」ことが大切だと言っていた。それはつまり、「なぜ学校に来て学ぶのか」ということと同じことだ。
これをまとめると「女子学院は何のためにあるのか」というと、「社会に出たときに自律するため」であり、自律することによって「異質な他人を愛する」ことができ、それは「有喜世」へとつながっていくのだ。だから私たちは有喜世を作るために学校へ通うのだと思う。
女子学院が百年以上も続いてきたのは女子学院というのは「有喜世」を作るためにあり、それは世界を平和にするためにあるからなのだと思う。そんな女子学院の精神を私は大切にしていきたい。
今年度の記念講演は、女子学院の院長室の中で生まれた婦人矯風会と女子学院の関連についてでした。創立者矢嶋楫子の、「あなたたちは聖書を持っているのだから、自分で自分をおさめなさい。」という言葉は、中一のときから折にふれて何度も聞いてきましたが、なんだかこの言葉には不思議な説得力があります。女子学院に校則がないのはこの考えに基づくものだといいますが、やはり「自由」ということの良い面と、それについてまわる責任を取ることの難しさを考えさせられる言葉です。
矢嶋楫子の人生は、女性の人権を獲得するために捧げられた、と高橋先生はおっしゃっていました。彼女が女性の地位向上を目指して様々な活動をしていたというのは聞いたことがありましたが、それ以上深く考えたことはありませんでした。そもそも私たちは視野を世界に広げてみれば、充分に恵まれていて何不自由なく生活している、といえる環境にいます。だから人権なんて、今侵されていて私たちが大変なことになっているわけではないのだし、特に焦って手に入れるべきものではないだろうと思っていました。しかし、よくよく考えて周りに目を向けてみると、比較的身近なところでも雇用機会の少なさや、社会的活躍の場、例えば国会議員における女性の割合の低さ、結婚後の改姓など、確かに女性は男性に比べて不利になっている面が多いのです。私たちが知らないうちに慣れてしまって気づかないだけなのでしょう。高橋先生が力を込めて話していらっしゃった買売春のこともそうです。明らかに男性にも非がある場合でも罰せられるのは女性。周囲から蔑みの目で見られるのも女性。世界の他の国々のことは詳しくは分かりませんが、歴史で習ったりして私の知っている制度だけから考えてみても、この日本という国は特に昔から女性が差別される傾向にあるのは事実なのでしょう。
憲法で男女の平等が声を大にして唱えられている今でも、なお改善されていない問題は山積しています。なぜこういう現状なのでしょうか。おそらく、昔からの長い間で根づいてしまった日本の悪い伝統のようなものでしょうから、これも今の私にはどうこう言えないことですが、今の状況を見るとこれからさらに完全な平等を目指して取り組んでいくのはとても重要なことなのだ、と思わされました。とは言っても私はまだ高校生で、女性だからという理由で虐げられていることなんてあるわけもなく、やはり私に直接関係のある問題ではないのかなぁという考えも頭をよぎります。実際、そう思っている人も少なくはないのでしょう。だからこそ、この問題は普段あまり大きく取り上げられずに、教科書の中の話で終わってしまっているのです。女性の人権に強い危機感を持っている人がいても、自分だけが行動したってこんな小さな力では世の中を変えることなんてできない、と思ってしまっていたのでは当然何も生まれません。そう考えると矯風会のような団体はあまり知られていないようでも、世の中において重要な役割を果たしていると思います。
今、高一は英語の授業で、子供の権利のために活動している団体のリーダーが書いた文章を取り扱っています。彼が一つの新聞の見出しに衝撃を受けて活動を始めたのはなんと12歳のとき。はじめは彼とそのクラスメイトだけでの、団体と呼べるのかも分からない小さな組織でした。しかし、児童労働の廃止というはっきりした目的を掲げて、熱意を原動力にして進めていくにつれてだんだん影響力が増してゆき、こうして国を越えて紹介されるような国際組織に成長しました。初めはどんなに無力に見える勢力でも、信念を持って行動してゆけば必ず実を結ぶときがくる、ということでしょう。私たちも何であれ、小さな、身近なところから始めれば、世の中を変えるようなことはできなくても、きっと状況は良い方向に向かうはずです。そう信じたいと思っています。
矢嶋楫子の努力の成果は確実に今の日本に大きな影響を残していて、私たちはその恩恵にあずかっています。そのことを時々思い出して、感謝しながら生きていけたら良いと思います。とても考えさせられた講演でした。
「弱い人への思いやりを持とう」(英語科講師)
聖書: イザヤ書42章1~4(p.1128) 讃美歌: 301
私は女子学院の卒業生です。国際基督教大学人文科学科で英文学を専攻し、卒業後は他校で19年間英語を教え、この4月より女子学院で中2と高2の英語を担当しています。女子学院在学中は軟式テニス班の班長や、運動系クラブ委員会の副委員長を務め、テニス以外はほとんど何も覚えていないという学校生活で、朝練の後体操着のまま礼拝に出ようとして、よく怒られていました。それ以外はいたってまじめで、掃除などもまじめにやっていました。
ある中間テストの前の日に、職員室に質問に行って教室に戻ってきたら、他の掃除当番が全員さぼって帰ってしまっていて、たった一人で掃除をしたこともあります。雑にやったつもりでも1時間以上かかり、担任の先生に報告に行って一人でやった旨を告げたのですが、「あらそう、ごくろうさん」と一言で片付けられました。疲れきって家へ帰ると、今度は母が、「明日から試験なのに何でこんなに遅いの?」とかんかんに怒って待っていました。そこでも一人で掃除をしていたからと言ったのですが、いつも要領が悪くて損ばかりしているとまた怒られ、何で私はいつも貧乏くじをひいて損ばかりしているのだろうと思っていました。そんな私に「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」という聖書の御言葉がとてもうれしく感じられ、キリストのために損をする人間になろうと大学2年の春に受洗しました。
これまでの人生で、掃除というわけではありませんが、何でこんな事を私が一人でやらなければならないのだろうという場面が何回かありました。そんな時よく、下げられた机を前に一人で呆然とたたずんでいた十代の自分を思い出しました。そしてあの時の自分でも一つ一つ机を運んで頑張れたのだから、今だって頑張れないはずはない、と思ってやってきました。あの時みんなと一緒にさぼって帰ってしまっていたら、今日の私はないと思っています。そう考えると、その時は誰にも認めてもらえなかったようでも、神様はそんな私を見ていてくださったのだと思います。
女子学院を卒業する時、私はそれほどこの学校が好きになれずに卒業していきました。大人や権威に対する単純な反発、運動部の活動に命をかけていた私には、学校が運動部の活動を評価してくれているように思えなかったこと、勉強勉強といつも追われていて、十分に青春を謳歌できなかったように思えたことなどが原因だったと思います。大学を卒業して勤めた学校で、軟式テニス部の顧問をしていて、近くの千代田女学園や大妻に試合の引率で来ることが何度もありましたが、一緒に引率してきた同僚が、母校が近いんだから寄って行ったら?と言ってくれても、一度も寄ったことはありませんでした。
私はピアノが少し弾けるので、今行っている教会で、月に一度オルガンを担当しています。奏楽の前の土曜日にはいつも教会に行ってオルガンの練習をします。何年か前のそんなある日、次の日の礼拝のために練習した讃美歌の一つが301番でした。先ほど歌って頂いた、いつもチャイムで聞いているあの讃美歌です。その301番を一人でオルガンで弾いていて、なぜか涙が止まらなくなりました。今私がここにいて教会の奏楽をしている、その信仰の原点は女子学院にあるのだということがひしひしと感じられたからです。ふとオルガンの譜面台に置いてある讃美歌を見ると、それは女子学院に入学した時から持っている讃美歌でした。今もここに持っています。そして母校とはこういうものなのだと思いました。その時はよさがわからなくても、何年も何年もたってそのよさに気づく、そしてその時には、その教えがしっかりとしみ込んでいる、それが母校なのだと思います。
そんな母校で今学んでいる後輩の皆さんに「弱い者に目を向けることができるようになることが本当の成長だ」という言葉を今日は贈りたいと思います。この言葉は私がこの3月まで勤務していた、聖学院の元校長であられた林田秀彦先生がいつもおっしゃっていらした言葉です。勉強ができるようになることや、体が大きくなることも、もちろん成長の一つではありますが、それ以上に大切な成長は、自分より弱い者に目を向けられるようになることです。弱い者というと、お年よりや障害のある人を思い浮かべますが、そういう人々ばかりではありません。むしろ、そういう人々に思いやりの心を持つことは、ある意味簡単です。足が不自由な人が早く歩けないからと言って腹を立てる人は誰もいません。それは弱さがはっきりとした形となって見えており、その弱さがその人の意志では克服できないことがわかっているからです。しかし、先ほどの私の掃除のような場合はどうでしょうか。掃除をさぼって帰ってしまった人たちに腹を立てずにいられるでしょうか。私も腹が立ちました。私はこの件でもわかるように、物事に粘り強くまじめに対処していく人間なので、この林田先生の言葉を聞くまでは、意志の弱い、それ故不誠実に見える人々に腹を立ててばかりいました。意志の弱さは不自由な足のように、外から見てはっきりわかるものではないし、それが心がけ次第で克服できるはずだと思えるので、そのような意志の弱い人々に思いやりの心を持つことは大変むずかしいのです。
厳しい受験戦争を勝ちぬいてこの学校にお入りになった皆さんは、程度の差こそあれ、皆意志の強い人たちです。将来は日本の中核として働くことが期待される女性達です。それはもちろん素晴らしいことですが、自分の意志を貫くばかりでなく、皆さんのまわりにいる、意志の弱い、心の弱い人たちに目を向けられるようになって頂きたいのです。今日お読みした聖書の3節は、私の中2の時の標語聖句です。“傷ついた葦を折ることのない、消えかかったランプの芯を消すことのない”「指導者」を望む神は、弱い者に目を向けられる神です。そしてそのような弱い人々に真っ先に目を向けられたのはイエス様です。自分より弱い人たちに目を向けられる人になってください。それが本当の成長だからです。
◇海外などからお客様をお迎えしました◇
9月30日に日本の好善社から3名、タイのチャンタミット社から3名のお客様をお迎えしました。チャンタミット社は好善社の姉妹団体で、両社ともそれぞれの国でハンセン病の患者や元患者の方々を支援する、地道な、大切な働きを続けておられる団体です。好善社は明治の初期に、女子学院の前身である新栄女学校の生徒たちのボランティアグループから始まったという歴史的なつながりがあって、今回の訪問となりました。
11月11日、ダルニー奨学生のタイの中学1年生2名が来日し、女子学院を訪れました。
女子学院では1995年から継続して、書き損じ葉書き収集を通し、今までに19人のタイの子供たちにダルニー奨学金を提供しています。書き損じ葉書きの収集を行っている中学中央委員会の生徒と中学生徒会役員が、奨学生と交流しました。お互いの国の学校生活の紹介や質疑応答を通して、生活や学習環境の違いを知る、貴重な機会となりました。
中央委員生徒の感想より
「自分と同じ年齢の子どもが、毎朝4時に起きて食事の支度や、牛の世話をしてから学校に行くということに驚いた。」(中学1年)
「自分が作ったものを売って、昼食やおやつを買うお小遣いにしている子どもがいるということが印象に残った。毎日お弁当を作ってもらえることは当たり前のことではないのだと気づいた。」(中学1年)
「学用品も満足に手にできない中で、二人とも自分の夢や目標を持っていることにとても感心した。私たちの集めた書き損じ葉書きが奨学生の夢の実現の手助けになればいいと思った。」(中学2年)
「奨学金をもらう前は学用品を人からもらっていて、勉強をする気があまりしなかったが、奨学金をもらってから自分の教科書や文房具を持てるようになり、勉強が楽しくなったそうだ。書き損じ葉書きを集めることによって進学できたタイの生徒に会えて、自分たちのやったことが役に立っている、喜んでもらえていると実感でき、とても嬉しい。」(中学3年)