文化祭に向けて
ひろしまの旅 報告礼拝
7月16日から18日まで、高1ひろしまの旅が行われました。生徒による、ひろしまの旅報告礼拝でのお話を紹介します。
もう知っているからいい、むしろもうそれ以上知りたくない。そんな風にして私は今まで戦争から少し目を背けてきたのではないかと思います。知れば知るほど恐ろしくて、怖くて、白黒の写真や映像が頭に残って離れない。頭では学ぶべきだとわかっていても、反射的に目をつぶり、耳をふさいでしまう。私にとってひろしまの原爆は過去の出来事でしかありませんでした。
ただ、「戦争や原爆は二度と繰り返してはならない」ということは、昔どこかで聞いて、納得して、今まで思い続けていることです。世界を見れば、銃を持ち戦地へ出向く子供たちもいる中で、私達に小さい頃から戦争はいけないと思う気持ちがあることは、とても重要なことだと気付きました。このような思いを持つのは、きっと戦争を経験した方の平和への強い願いが伝わっているからだと思います。
しかし、今の日本は戦争に対する意識が薄れていっているようにも感じます。憲法九条などに対する考え方にしても、戦争をしても仕方がないと思う人が日本に少しでもいることにとても不安を感じます。戦争から時が経つにつれて現実味がなくなって、真剣に考える人が減ってきているのかもしれません。
今年の全体会のテーマは「戦争を体験していない私たちにできる事は何なのか」というものでした。知ること、学ぶことの大切さ。平和とは一体何で、どうすれば維持できるのか。戦争はなくなるのかどうか。テーマだけにとらわれるのではなく、一人一人がひろしまで考えた意見を本当に沢山聞くことができました。中でもやはり、伝えることに関する意見は多く出ました。日本の、あるいは世界の人々に原爆や戦争の恐ろしさはどうすれば伝わっていくのでしょう。多くの人が、数々のプログラムの中で、自分たちが何か行動をしていかなければならないと感じたのだと思います。私もそうでした。でも伝えるには自分が何をしたらいいのか、今もこれという明確で具体的なものは分かりません。むしろ自分には何もできないのではないか、という無力ささえ感じることもあります。
しかし、忘れてはいけないのだという思いは強く私の中にあります。私が考えたのは、みんなに伝えよう伝えようとするのではなくて、まずは自分の中でしっかり考えて、原爆や戦争から目をそらさないでいることが大切なのではないかということです。そして自分たちが伝えていかなければならなくなった時に、自分の中できちんと整理できているようにすることが必要だと思います。
今、高校一年の時点でできることは限られていて、まして自分の経験した事ではないことを他人に伝えるなんて、とても難しいことです。今すぐに目に見える形で何かをしようと焦らなくてもいいのではないかと思います。ひろしまの旅で見たこと、聞いたこと、知ったことを自分の中で大切にすることが、平和が未来につながっていく第一歩になると私は思います。
知っているからいいとはもう思いません。私には戦争について、知らないことがまだまだたくさんあります。知りたくないと思っても、それが事実であるならば少しずつでも学び、受け入れていく必要があると思います。
ひろしまの旅を通して、原爆が過去のものではなく、現在そして未来につながったような気がしています。