創立記念日を迎えて

今年で創立136年を迎えた女子学院は、1870(明治3)年、ジュリア・カロゾルスにより、築地居留地内に設立されたA六番女学校に始まる、キリスト教主義の学校です。
その後、B六番女学校(後の新栄女学校)・原女学校とミセツ・ツルーをはじめとする婦人宣教師たちによりその精神は引き継がれ、1890(明治23)年に桜井女学校(1876年、桜井ちかによって設立)が新栄女学校と合併して校名を「女子学院」と改め、矢島楫子を初代院長として、現在地に校舎を新築して発足しました。

10月24日の創立記念日集会では、記念礼拝の後、中学は川端国世先生(日本YWCA 総幹事)の「耳を傾けよう、パレスチナの子どもたちからのメッセージ」と題した講演を、高校は、山田和人先生(衣笠病院チャプレン)の講演「死にゆく命の尊さに触れて」を伺いました

川端国世先生
山田和人先生
パレスチナの子供が描いた絵

中学生の記念講演を聞いての感想文を紹介します。

川端国世先生のお話をうかがって

中学3年

新たな発見とピースメーカー
「ピースメーカーになったつもりで」川端先生はおっしゃった。10月24日、創立記念日集会の記念講演で、日本YWCAの川端国世先生が「耳を傾けようパレスチナの子どもたちからのメッセージ」というテーマでお話をしてくださった。先生がパレスチナで撮影された写真をスライドで見せて頂くとき、先生はこの言葉をおっしゃった。
「ピースメーカー」という言葉は聞いたことはあったが、自分の中で、どのような言葉なのかあまりしっくりこない。「平和を実現させる人々」という意味なのだろうが、私たちがこの日にスライドを見たことによって、果たしてピースメーカーになれるのか、と不安と疑問が心の中に生まれた。スライドでは、たくさんの写真を見せて頂くことができた。兵役の義務によって、兵隊になっている少年・少女たち、両親が獄中にいるために、国連の幼稚園に通っている小さな子供たち。孫を亡くしたおじいさん。他にも、土地を分離させるための8メートルもの壁など、人や建物・景色といったたくさんのものが写し出されていた。その中でも、特に子供たちの写真が数を占めていたと思われる。私ははじめ、スライドをみせていただけると聞いたとき、パレスチナは苦しい状況下の国だから、子どもが泣いている写真もあるのだろうと思っていた。しかし、実際は正反対であった。子供たちの顔からは、大きな笑みがこぼれていた。その笑みからは、毎日イスラエル兵を恐れて暮らしているとは決してうかがうことができなかった。パレスチナの人々に対して「可哀想」という同情は持っている。しかし、「いつも泣いているのでは」という同情は、逆に彼らに対して失礼にあたるのだろうし、一種の偏見となるであろう。スライドを見たことによって、このような発見ができ、また、現実をしっかりと目で見ることができた。これこそが、先生がおっしゃっていた「ピースメーカーになるつもり」ということなのではないだろうか。

一人一人は無力だけれど

中学2年

講演でパレスチナの難民問題について聞いたとき、「ピースメーカー」という言葉を聞いた。
「平和をつくる人」、つまり「穏やかなる世界をつくる人」。私は「ピースメーカー」になれるだろうか?私は無力であり、何もできないのではないだろうか、そう思わされることも多い。
パレスチナとは遠くなるが、今、多くの人は心の病にかかっていると思う。
「自分に力があるのに、他を助けなかったときに、苦しみを感じる女性になりなさい。」これは女子学院の創立期にミセス・ツルーが生徒に語った言葉だという。講演で一番心に残った言葉である。しかし、今の日本はこの苦しみを感じる人が減っている。自分のことだけで精一杯、せわしなく動いている。誰かが苦しんでいても、しかたがないことと感じてしまっている。穏やかとはほど遠い世界である。私はその中で自分の無力さに苛立ち、やることのできる小さなことさえ投げ出してしまっている。苦しみを感じても目をそらして、自分のことをやり始める。
世界の速すぎる時間に流されてしまって、周りを見られない、そういう人は多いと思う。だから、心が麻痺してしまう。そういうことかもしれない。少しゆっくり周りを見て、世界のあらゆることを感じて、見て、聞いたとき、誰かに平和を与えることができるかもしれない。所詮、一人の力では世界を変えられないけれど、もしかしたら他のある人を動かせるかもしれない。一つの力は無力に見えるけれども、一つがないのに百があるわけがない。そういうものだと思う。私でも、人が死んでいく悲しさを知っている。どうしようもない痛みを知っている。それだけでも何かを変えられるというのなら、やってみたい。平和がつくれるかは分からないけれど、何もできないわけではないのだから。

宗教改革記念礼拝(高校)より

10月31日の宗教改革記念日をおぼえて、女子学院では毎年この時期に宗教改革記念礼拝がもたれます。今年の礼拝でのお話を紹介します。

聖書 :ローマの信徒への手紙 1:16~17
讃美歌 :258

皆さんは、自分の学校について、深く思いを馳せたことがありますでしょうか。
女子学院は、3人の女性が建てた3つの学校が源流となっています。一番古いのが1870年にジュリア・カロゾルスが設立したA6番女学校、次が1874年にケート・ヤングマンがメリー・パークと協力して建てたB6番女学校、そして3番目が、日本人女性、桜井ちかが1876年に始めた桜井女学校であります。普通この3人の女性が女子学院のルーツとされます。しかし、この3人の女性は皆、長老教会によって育てられた女性でした。ジュリア・カロゾルス、ケート・ヤングマンは、米国長老教会から派遣された宣教師、ないし、宣教師夫人でしたし、桜井ちかは米国長老教会のタムソン宣教師から洗礼を授かったのでした。ゆえに、女子学院を生み出したのは長老教会、そしてその長老教会(別名改革派教会)を生み出したのは、ジャン・カルヴァンの宗教改革でした。よって、女子学院のより深いルーツは、カルヴァンにまで、遡ることが出来るといえるのであります。
さて、プロテスタント教会では、毎年10月31日を、ハロウィンではなく、宗教改革記念日として祝っております。女子学院でも、この日を期して、宗教改革をテーマとした礼拝が持たれるので、皆さんも良くご存知だと思います。なぜ、この日が宗教改革記念日とされるかといえば、1517年10月31日に、宗教改革者とされるマルティン・ルターが、当時はアウグスティヌス修道会ヴィッテンベルグの管区司教総代理という地位にあったのですが、贖宥状(カトリック教会では正式には免償符と翻訳いたしますが)などに関する「95か条の提題」をヴィテンベルグの教会の扉に貼り付け、同時にマインツの大司教に送りつけた日だからであります。
が、この事件は宗教改革のきっかけを作ったに過ぎませんでした。既に、中世からのペスト流行、百年戦争、ばら戦争と続く社会不安の中で、人々はより深い救いを求めていました。にも拘らず、教会側は教会大分裂に続く、三人教皇の鼎立といった状況で、混乱をきわめていたわけです。もう教会に頼ることは出来ない。人々は失望感の中で、神秘主義に走ります。制度に頼るよりも、深い内面におけるキリストとの一体化を求めるこの運動は、既に中世末において、人々の心を捉えていたのであります。日本でもよく読まれている『イミタチオ・クリスティ』(キリストに倣いて)という修養書は中世において、既にべスト・セラーでした。私はこの神秘主義が宗教改革の精神を育んだと考えています。
さて、ルターの贖宥状事件によりまして、ルターはカトリック教会から破門されることとなり、それ以前の時代でしたら、火刑ということになりかねなかったのでありますけれども、ルターを支持する領邦君主、具体的にはザクセン選帝侯フリ-ドリヒが現れました。ルターは、カトリック教会とは異なる、ルター派教会を設立することとなり、ここに歴史上最初のプロテスタント教会が出現したわけであります。今日お読みした『ローマの信徒への手紙』1:16~17節、は、ルターが宗教改革に際して拠り所とした聖書の御言葉であります。
ところで、ユダヤ・キリスト教に於いては、天地創造に始まる世界の歴史において、神が人類を、世界を救おうとしておられるという「救済史」という考え方があるのですが、この救済史において、プロテスタント教会の出現は、どのように位置づけられるのでしょうか。もともと、神は、天地創造において、全人類、全世界をお造りになられたのでありますけれども、初め、イスラエルというちっぽけな民族を選んで、その民族に愛を注がれました。そのイスラエル民族が神に愛されたり、反抗したりした記録が旧約なのであります。ところが神が救い主としてこの世にイエス・キリストを遣わすことにより、救いの歴史は一変します。律法に縛られたユダヤ人は、もはやイエス・キリストを受け容れられない、救いはイエス・キリストを信ずる全ての人に開かれることになり、ここに普遍的な教会、カトリック教会が出現したのであります。ところが、カトリック教会1500年の歴史を経て大きな問題を抱えることとなった。初代教会が悪魔だとしてあれほど対決したローマの、その国教となることにより、そしてピピンの教皇領の寄進以来、教会が国家権力との癒着どころか、国家権力の一つとなってしまったわけであります。宗教改革の教会は、この国家権力と教会との関係に楔を打ち込んだといえるのではないでしょうか。ただし、ルター派の教会では、領邦君主に保障される教会としてその楔は中途半端だったのですが、カルヴァンが形成した改革派教会の成立により、国家に干渉されない、自由市民の教会が成立し、やがて、多くの尊い血の犠牲をもって個人の「信教の自由」の獲得に至るわけであります。
先の話に戻りますが、私たちの女子学院は、このカルヴァンの教会の伝統を引いているのであります。女子学院でいう「自由」は、ただのお題目ではありません。一人一人が内面を神との出会いに至るまで深めていくこと、そしてその一人一人の価値を国家よりも大切なものとして守っていくこと、そこに女子学院のいう自由の本質があるかと、思われます。今まで、女子学院はそういう自由を求めてきたことと思いますが、これからも、安易に権威に擦り寄るような姑息なことをせずに、歴史の中で勝ち得た自由を守っていくことが出来るように、願っております。

高校3年生の保護者の皆様から記念樹を寄贈して頂きました

高校3年生の保護者の皆様から記念樹を寄贈して頂きました。学年カラーの緑にふさわしく、「2006年度卒業生による記念樹」という緑のプレートをつけて校庭西側(正門前道路からも垣間見えます)に植樹されています。
イチゴの(strawberry tree)はヨーロッパと北米の岩の多い森林や低木林に自生する、樹高10m位になる樹で、秋にはすずらん状の白い花と赤い実をつける珍しい樹です。

記念樹「イチゴの木」

今年のバザーが終わりました

JG会・奉仕部の主催で行われる秋の恒例行事、バザーが11月11日(土)行われました。毎年、JG会(保護者・教職員の会)、同窓会、各種福祉ボランティア団体が出店し、クリスマスの装飾の手芸品をはじめ衣料品や日用品、手作りケーキの販売、また喫茶室や模擬店なども開かれ賑やかに行われます。当日は、雨にもかかわらず、3000人以上の入場者で、大盛況のうちに終わりました。

JG会・同窓会バザー
ボランティア団体のコ-ナ(アミティエ)
アミティエでの販売
手作り品販売
宗教委員の生徒達のアミティエでの販売
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