夏休みの行事報告
夏休み中の主な学年行事として、中2御殿場教室、高1ひろしまの旅、高3修養会が毎年行われます。このうち高1ひろしまの旅以外は、女子学院御殿場寮で前班・後班に分かれて持たれます。また、御殿場寮では、こうした学年行事のほか、運動系・文科系の各クラブの合宿が行われ、延べ1200人以上の生徒が参加し、秋の文化祭の準備など充実した寮生活を送ります。
高1ひろしまの旅
今年のひろしまの旅は、7月17日から3日間の日程で行われました。一日目は資料館見学と山岡ミチコ先生の講演。二日目は宮崎安男先生の講演とフィールドワーク。夜には少人数のグループに分かれて被爆者の方々のお話を伺い、最終日は全大会で締めくくりました。
礼拝で発表された生徒の感想を紹介します。
ひろしまの旅報告 高1
私達高一は7月17日から三日間、広島の旅に行きました。私は今まで何度も戦争について勉強する機会が与えられてきました。でも、正直こんなに真剣に戦争や原爆について考えたのは初めてです。それは無知である事、またそれを受けとめようという積極的な心が持てなかったという事も原因だと思います。
この三日間を通して、私は原爆の恐ろしさを未来に伝える義務があると感じました。呉港に行って、原爆の碑があるそのすぐ近くで、現代の技術でつくられた巨大な軍艦を見ました。多くの兵器が開発されたかつての呉軍港は、今でも海上自衛隊呉基地として機能し続けているのです。戦争は遠い昔に終わった事ではなく、小さな火種はいまも燃え続けているのです。地下には人間魚雷を作った秘密工場がありました。人間を使った兵器、そんなものをどうして国は認めたのでしょう。人間の命は戦争に勝つためなら犠牲になっても良いのでしょうか?いいえ、命は何物にも置きかえられない大切なもののはずです。命さえもないがしろにしてしまう、それが戦争の姿なのです。こんな恐ろしい過去を持つ私達に、これから戦争が起らないとどうして言えるでしょう。私達はとにかく伝えなければなりません。どうしたら戦争を、そして原爆の恐ろしさを次の世代、未来に伝えていけるかを探しました。
二日目の夜。私達は被爆者の方から実際の体験を聞きました。原形をとどめない死体の山、あまりの痛さに「自分を殺せ」と叫ぶ声、止まない泣き声・・・それは悲惨なものでした。想像するのが恐いくらい。でもこの被爆者の方々の体験を間接的に次の世代に語るだけでは、私たちが今感じている原爆の恐ろしさは薄れていってしまうだろうと思いました。最後にその方はこうおっしゃいました。「あなたは今、幸せを感じ平和であると思っているかもしれないけれど、それは原爆によって壊れてしまうものなのですよ」と。当然のことだと思っていたことが、改めて言われて心にズシンと響きました。この旅行の中で一番重いと感じた瞬間です。うまく気持ちがまとまらないまま最終日を迎え、旅行のまとめとなる全体会に出席しました。その会で、想像することの大切さを主張する友人の意見を聞きました。それまで戦争を他人事とし、考えを深められなかった私は、戦争を自分に起ったことと想像すれば心に深く刻む事が出来ると気付いたのです。例えば、今食べているご飯が無くなってしまう。晴れた空が爆弾で灰色に染まる。大事な家族が自分のそばからいなくなってしまう。もしそんな現実を突きつけられたらどうなってしまうでしょう?
このように考えてきて、私はこの先どのようにして伝えていけばよいのか自分なりの答えを見つけました。私達は、幸せだなあ、生きているなあと実感する瞬間、瞬間に、もし原爆を受けたらこれは壊れてしまうのだと想像してみることが大切なのです。また、将来私が親になった時、我が子に「あなたが食べる幸せ、二本足で歩く幸せ、自分の夢を持つ幸せは原爆によって一瞬にして奪われてしまうんだよ。」と伝えることも大切なのだと思います。みなが実行できれば、二度と広島、長崎の悲しみはくり返されないでしょう。広島の旅最後の日の自由行動の時、私は千羽鶴を首からさげた原爆の碑を町中で見かけました。私の足は自然とその前で立ち止まり、手を合わせました。広島の旅は私に本当にたくさんの事を教えてくれたのです。
高3修養会
今年の高3修養会は前班(7月15日から7月17日)、後班(7月17日から7月19日)に分かれて、『今日の私・明日の私』というテーマで行われました。講師に横野朝彦先生(番町教会牧師)をお迎えしました。
礼拝で発表された生徒の感想を紹介します。
高3修養会 高3
女子学院の「入り口」であると言われる中二御殿場教室で、私たちの学年は「18歳の私へ」という手紙を書きました。小さな二つ折の画用紙に、どんなことでも良いから四年後またここにやってくるであろう自分に対して伝えたいことを書こうという企画で、それを修養会1日目の夜に読むことになったのです。当時の私はまさに思春期真っ只中で、悩んでいることも多かったらしく、今にも泣き出しそうな口調でたくさんのことが書かれており、それはそれはどんよりとしたものでした。しかし、それだけマイナスなことを書き綴ったにもかかわらず、手紙の結びは「どうか私を否定しないで下さい。いなかったことにしないで下さい。」だったのです。私が私を否定しないこと。それが何であるのか。それを今回、女子学院の「出口」であるといわれる高三修養会で学びました。
私は元々話し合いというものが大好きで、参加するずっと前からこの修養会を楽しみにしていたのですが、「自分」という大きな括りに対して、日々思っていることを言葉にしたり、他の人の考えに耳を傾けたりすることは、私にとって想像していたよりもはるかに有意義なものでした。
そんな中で、最も心に残ったのは横野先生が主題講演でお話してくださった「自己肯定」についてのお話です。自己肯定とは、読んで字のごとく「自己を肯定すること」すなわち自分に対して「YES」と言うことです。
人間誰しも少なからず短所を持っているものです。もちろん私にもたくさんの短所があります。例えば、計画性がない、集中力がない、自制心がない、思いやりがない、忘れっぽい、だらしないなど、挙げれば限がありません。そういう自分を改めて直視してしまうにつけ、なぜ私はこうなのか、なぜもっとちゃんとできないのか、と腹立たしさでいっぱいになり、悶々とすることもしばしばです。
しかし横野先生は、そんな短所もあなたらしさの一部であり、そういうもの全てをひっくるめて「自分」であるのだから、あなたはそのままの自分を受け入れればいい。取るに足らない私をも神は用いて下さるのだ、と仰って下さいました。ありのままの自分を受け入れることが自己肯定であり、それが最終的に自分を支えてくれるとおっしゃるのです。
この「自己肯定」という考え方が最終日に開かれた全体会でも中核になっていたように思います。
後半の全体会では「6年間のJG生活で得た物」というテーマで意見交換が行われました。最初のうちは、それぞれが自分の得てきたと思うものを思い思い発表していくという形で会が進んでいったのですが、流れの中で「JG生は個性的だ」とか「JG生は特殊である」といった意見が出て、それに対し「それは違うだろう」という声があがり、中盤からJG生は本当に個性的なのか、そもそも個性とは一体何なのか、という議論に移っていったように思います。
全体会の最中も、そして修養会が終わってからも、しばらくこのことについて考えていました。確かにJG生は個性的だとか個性が強いなどと言われることが多々あります。昔は私もそんな気がしていました。でも本当に私たちは個性が「強い」のでしょうか。そもそも個性に強いも弱いもあるのでしょうか。今の私はそうは思いません。個性というのは誰もが持つその人にしかない性格・性質のことであり、みんなが違うものを持っているのだからそれに対し強いだの弱いだのを議論するのはなんだかおかしなことだと思うのです。
個性に強弱はなく、ただそれを表現できるかできないかで見え方が違ってくるだけなのだと思います。つまりJG生が何となく個性的に見えるのは、人によって差はあれど自分を表現できているからなのだと思います。もう少し言葉を変えれば、表現した自己を受けとめてくれる他者がいるから、そういう空気があるから、私たちは安心して自分を出せるのではないでしょうか。JG生が特別だとか、特殊だとかは決して思わないけれど、そういったある意味での寛容さは、皆少なからず養われてきたのではないかと思います。
しかし、この居心地の良い「世界」は永遠ではありません。特に私たち高3はあと数ヶ月もすれば嫌でもここを出て行かなくてはならないのです。そうして「私を受け入れてくれる誰か」と離れて一人になった時、最終的に自分を支えてくれるものこそ、先ほど話した「自己肯定」なのだと思います。たとえ誰もいなくなったとしても、私だけは私を肯定する。全てはそこから派生していくのではないでしょうか。認めて欲しい、受け入れて欲しい、愛して欲しい、と周りに働きかけるばかりでは何も広がってはいきません。一番身近な存在である自己を受け入れることができて初めて他を受け入れられるのであり、また他を受け入れて初めて私を受け入れてもらえるのです。自己肯定から導き出される世界はきっと優しいはずであると信じています。だからそのために、私は私と一生向き合い続けていきたいと思います。
中2御殿場教室
今年の中2御殿場教室は前班(7月20日~7月22日)、後班(7月22日~7月24日)に分かれて、『私とあなたそして世界』というテーマで行われました。講師に辻順子先生(下谷教会牧師)をお迎えしました。
礼拝で発表された生徒の感想を紹介します。
中2御殿場教室 中2
今回の御殿場教室のテーマは「私とあなた、そして世界」というものだった。あまりにもスケールが大きすぎて、三日間の中で結論を出せるかどうか不安だった。
私たちは二日目に神山復生病院に行き、元ハンセン病患者の藤原さんのお話をうかがった。藤原さんは、何度も「みなさんがあたり前だと思う事が、私達にはあたり前ではないのです。」とおっしゃった。そして目の前にある腕時計をにぎってみせようとして、「私はこれをにぎることさえできない。」とおっしゃった。藤原さんの手は変形したまま硬直していて少しも動かないようだった。
また藤原さんは自分達の事を少しでも多く知ってもらおうとされているように見えた。聞き取りにくい口調で話す藤原さんは話せば話すほど悲しそうに、けれど必死で私達に何かを伝えようとされていた。それはハンセン病の事を正しく理解してもらえずに、差別され続けた、そして今も差別はなくなっていないという寂しい現実があるからだと思う。そんな姿に私は心を打たれ、すっかり聞き入ってしまった。
初めは藤原さんの変形した顔や口、腰を曲げて歩かれる姿に自分とは違うと思い、恐怖さえ感じた私が、いつのまにか一人の人間として見る事ができた。そして、もっと藤原さんについて知りたくなった。何か私にできることがあるならしたいと思った。今考えてもこれは不思議な気持ちだった。聖書では、人間同士の愛情を指すのに「知る」という言葉がつかわれているそうだが、その意味が何となくわかった気がした。相手の事を知る事が、愛するきっかけになり、自分の事を知ってもらう事が、愛されるきっかけになる。キリスト教の信者である藤原さんはこの事を知っていらしたのだと思う。そして、本来ならば助ける側の私たちが、助けられる側の藤原さんにその事を教えて頂いたのだ。
自分は生きている意味がない。そう思い続けてきたハンセン病患者の方達。そう思わせ続けていた私達健常者。
では「生きている意味」とは何か。それが自分にあるのか、それが何か、わかっている人はいないと思う。それでも自分は生きているし、いなくていい人なんてどこにもいないと思う。神様は、自分を必要な人間として命を与えてくださったのだ。だから少しでも満足できる生き方をしようと思った。
ハンセン病にかかった人、そのために亡くなった人の苦しみが分かるのはハンセン病患者だった人だけかもしれないが、その苦しみを聞いた健常者の人が、他の人々にも働きかけ、その事で少しずつ理解者が増えていく…そんな事ができたら誰もが幸せになれる。これはハンセン病だけの話ではおさまらず、世界的に考えても、はじめのたった二人が分かり合うだけで何人もの人が幸せになれると思う。今はまだ、戦争が絶えない世界だけど、何年も先の未来が平和な世界になるように、今から働き出さなくてはいけない。そして、本当に小さな事でもその事を意識して生きて、未来が良いものになったなら、その時やっと生きていた意味があったと言えるのだと思う。