新年のご挨拶

院長 田中 弘志

皆さま、明けましておめでとうございます。新たな決意と抱負をもって新年をお迎えのことと存じます。

ご存知のように、毎年12月には「日本漢字能力検定協会」が公募によりその年の世相を表す「今年の漢字」を選んで発表しています。’95年の「震」に始まり、’97年の「倒」、’98年の「毒」、’01年の「戦」、’04年の「災」など、どちらかと言えば暗い、マイナスイメージの漢字が多いように思いますが、その中にあって2005年の漢字は「愛」いうことで、珍しく明るい印象の字でした。しかしこの発表を聞いて「?」と思われた方も多かったのではないでしょうか。実は私もその一人でした。愛・地球博の成功や卓球のアイちゃん、ゴルフのアイちゃんの活躍が話題になることが多かったということもあるのでしょうが、「愛」は昨年の世相を反映しているというよりは、むしろ世相の裏返しで、それだけ今この世界には愛が欠けている、人の心にもっと愛があればいいのにという人々の強い思いが、願望として表現されたのではないかと思わされました。

新約聖書の中にヨハネによる福音書という書物があって、その第3章に「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子(みこ)を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」という有名な文章があります。神の子が一人の人間としてこの世にお生まれになった、というのがクリスマスの出来事ですが、それは神が私たち人間をどこまでも愛していて下さるからだと聖書は教えています。どうしても自己中心的にしか生きられない私たち、自己を絶対化し神には背を向け続ける人間の姿、それを聖書は罪と呼びますが、それにもかかわらず人間を愛し、もう一度神との正しい関係が修復されるようにその機会を与えて下さる神、それが聖書が伝える神の愛です。ヨハネによる福音書第1章にはこういう文章もあります。「初めに言(ことば)があった。…言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」「理解しなかった」とは「勝たなかった」、「光を消すことが出来なかった」という意味です。

深い闇に閉ざされているかのようなこの世の現実の中にも、一筋のまことの光がさし込んでいます。その神の愛を反射して、本当に己を無にして献身的に他者のために尽くしておられる方々がたくさんおられることも私たちは知っています。「自分自身を愛するように、隣り人を愛する」ことが出来るのも、私たちが神の愛によって可能にされているひとつの力であり、大きな恵みです。心を痛めることの多い、そして問題の多い世の中ですが、お互いに人を愛する(大切にする)心をもって、希望の持てる世界にしていけるよう努力する一年でありたいと思います。

'05クリスマスの聖歌隊コンサート

12月16日のアドベント(待降節)の放課後、聖歌隊による合唱で、美しいクリスマスのメロディーを楽しみました。最後には来場者といっしょに「もろびとこぞりて」を歌いました。プログラムと、歌声の一部をご紹介します。

Hodie Christus Natus est
今日キリストは生まれたもう(グレゴリオ聖歌)

O Come, All Ye Faithful
神の御子は今宵しも(民謡)

O Holy Night
さやかに星はきらめき(作曲:A.C.アダン)

The First Nowell
牧人ひつじを(イギリス民謡)

冬の夜の雪に咲き初めたる(作曲:P.ヨン)

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