YWCAカンファレンス報告礼拝
8月8~10日、広島でYWCA全国カンファレンスが行われました。参加した高1の生徒の報告礼拝を紹介します。
「私たちは戦争体験を直接伺うことのできる最後の世代だ」とは、よく聞く言葉である。日本は、戦後約七十五年、戦争を体験した世代の「もう二度と戦争は嫌だ」という願いと共に自ら戦争をせずに歩んできた。しかし、今では私たちのような実際の戦争を知らない世代が国民の大半を占めている。戦争の記憶も風化が進んでいる中、戦争体験世代の記憶と平和への強い願いを受け継いでいくために私たちに何ができるのか。これが今年二回目の広島訪問での私自身の大きなテーマだった。
私が大事だと思ったのは「想像力」だ。これは、平和記念資料館の案内をして下さった先生が、「想像力をはたらかせて資料館や平和記念公園を見てほしい」と繰り返しおっしゃっていたからだ。残された資料や遺跡をただ見るだけの受け身の姿勢ではなく、当時の惨状や人々の苦しみを自分で想像してみる。難しいけれど、とても大切なことだと思う。しかし、私はここで「想像力」による新たな壁にぶつかった。それは近現代史の授業でのこと。日清戦争に勝利した日本は遼東半島を手に入れたが、その後ロシアなどの三国干渉により返還せざるを得なかったという歴史の事実を学習した。授業では、当時の人々から見て日本は三国干渉に関わったロシアに戦争を仕掛けるべきかそうでないかを考えた。私は、当時繊維業を経営し、これから生産性の向上を目指す地主の立場で考え、ロシアとの戦争を選択してしまった。地主が家業の発展を求めると、日清戦争で獲得した港を拠点に貿易ができ、ロシアとの戦争に勝つことでさらに生産性が増えるのはありがたいことだ、と。もちろん、現在の私としては戦争はやってはいけないと頭では理解している。しかし、当時の人々の立場に立つと戦争を選択してしまう。この矛盾に、「ノーモア戦争」のスローガンだけでは解決できない何かを感じてしまった。
私は、当時の人々にはさらなる想像力が欠けていたのではないかと思う。例えば、地主にとって戦争で獲得した土地や港は自分の商売道具でしかなく、元々そこに住んでいた中国の人々の土地を奪ったことや戦地での兵士たちの犠牲に目を向けることはなかっただろう。さらに、当時は戦争の成果やよさを強調する報道ばかりがなされていた。だが、それを「仕方なかった」で終わらせてはいけない。世の中の報道や宣伝の後ろにある事実を自分の想像力で見出せるか、それが今の私たちに求められているのだ。
また、これと同じことが現代の日本でも言える。最近、日本と韓国の関係悪化が連日報道されている。ここで私は一つ気になることがある。それは、日韓関係の悪化に便乗して注目を集めたいだけなのか、ここぞとばかりに「反韓国」をあらわにする人がいたり、それをあおるような報道がメディアでされていたりすることだ。私は、呉のフィールドワークで伺った話を思い出した。それは、日中戦争の際呉で、その成果を知らせるための博覧会が開かれたというものだ。ガイドの方は実際に当時の博覧会のポスターを見せてくださり、こうおっしゃった。「こうしたきらびやかな博覧会によって、人々に『戦争はいいものだ、やってもいいじゃないか』という意識が少しずつ刷り込まれていった。海軍の基地や港があり、それで儲かることもあった呉ではなおさらだろう」と。このように、メディアによる巧みな報道によって人々の意見が過激な思想に動かされていくというのは歴史上よくあることだ。そして私は、今の日本にも同じような空気を感じてしまう。
今回のカンファレンスでは中国YWCA、韓国YWCAの高校生の参加も強く印象に残っている。交流の機会はそう多くはなかったが、言葉が通じなくてもジェスチャーでコミュニケーションをとったり、一緒にゲームをしたりととても楽しかった。そこには、今の外交関係のようなギスギスした空気や反日といった感情は全く感じられず、中国・韓国の高校生も普通に私たちと接してくれた。私が思うのは、その場だけの薄っぺらい報道や世論に惑わされ、想像力をはたらかせることなくそれに染まってしまうのは本当に危険だということだ。まず歴史をきちんと学び、それを踏まえた上で今どうあるべきか、それが私たちが今考えるべきことではないだろうか。
戦争について学ぶのは決して気分のいいものではない。そのあまりの悲惨さ、むごたらしさには思わず目を背けたくなる。それでも私は学び続けたい。それは、戦争や平和について考えを広げるきっかけとなった広島の街に感謝しているからだ。私は母の故郷でもある広島の街が大好きだ。広島を訪れる度に、こんな素晴らしい街をもう二度と罪なき人々の血や涙で覆いたくないと思う。だから私は歴史を学び、平和な世界をつくり上げていく助けとなる人になりたい。これから先、日本や世界がどんなに変わろうとも、平和な世界を願い続ける私でいられるように。