学校説明会が行われました

学校説明会では、中学2年生の担任などが授業や中学校生活の様子を話します。中2の夏休みに行われる宿泊行事「ごてんば教室」は、女子学院の入り口、とよく言われますが、今回の学校説明会ではその感想文をご紹介しました。

 

「他人と共に生きる」

私は八方美人である。

小学生時代の女子同士でのもめ事も、どちらにも合わせながらやり過ごした。友達がもう一人の友達の悪口を言っているのも聞き流して、軽くなだめながら笑っていた。そんな自分が嫌でしょうがなかった。

「共に生きる」というテーマを考える度にあのときの自分が嫌になってくる。私は全く共に生きてはいなかった。薄っぺらい表面上だけの付き合いで、土台など「砂」にすらなりきれていない。樹にたとえれば地中深くまで根が張っていない状態で、少し風雨にさらされる程度で引っこ抜けてしまう。

自分は所詮そんなものだと自覚した。ごてんば教室二日目の夜。私はどうすれば、そんな自分を変えられるのか知りたかった。人格形成など、今までの人生ですっかり歪んでしまったように感じる。心の底から受け入れられた友人など、ほんの一握りだったのだから。

全体会〈二泊三日の最後に参加者全員で話し合う会〉。最初は「岩にたとえられている固い土台とは何か」がテーマ。たくさんの意見が出たが、その中で特に心に残ったものがある。

「他者への信頼。共生には必要不可欠」

これを聞いて私は、小学生時代は誰も信頼していなかったことに気づいた。小学一年生から一緒の幼馴染ですら。信頼していないから受け入れられなかったのだ。どうしたら自分を変えられるか、この問いへの答えは案外すぐに見つかった。

しばらくしてテーマは「自分と他人が成長するにはどうしたらよいか」に移る。私は、意見を大雑把にまとめてみて、「相手の意見をしっかりと聞いて受け入れる」ことが大事だと解釈した。昔の私はそれもできていなかった。言うなれば、偽物の顔で他者に向き合っているようなものだ。本当は全員で仲良くしたいという私の心中も、誰にも話すことなく気づけば小学校を卒業していた。

私は誰とも友達でいたかった。だから合わない人とも無理矢理に話した。そうしたら友達という関係が軽薄になって、誰とも「共に生きる」ことはできなかった。私の中の樹は誰も登れず、木陰で休ませることもできなかったのだ。

成長するには相手をしっかり見て、意見を聞かなくてはいけない。しかしそこに、「友達」という要素は必要だろうか。私はごてんば教室の三日間と『友だち幻想』という本からそれを学んだ。苦手な人や合わない人がいるのは人間として当然のこと。クラス全員と仲良くするなどほぼ不可能に等しい。ただ、あの人が苦手だからといってその意見を退けるのは絶対にあってはならないことだ、と思った。

合わない人とも関わりを持つことで、「共に生きる」ことはできる。自分のこの過去も経験の一つ。その過去とごてんば教室のおかげで、私は成長することができた。

女子学院の入り口だけでこんなに学べるということは、この先いったい何が待っているのだろうか。私の人格形成に大きく影響したり、私の夢に繋がったりするものが現れるかもしれない。でも、今はまだ、あくまで準備期間のようなもの。好きな曲には「最後に咲けばよい」という歌詞が登場するが、本当にその通りだと思った。いつか私の心も、誰かをいやす大樹になって、無理せず共に生きられるようになってほしい。その日のため、私は今日も心の土を耕しては根を張っていく。

 

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