クリスマス礼拝が行われました

12月23日、クリスマス礼拝が行われました。生徒や出席者は心を込めて献金を捧げます。宗教委員の有志がその献金先の一つであるドルカスベビーホームについて時間をかけて学び、夏休みに実際に訪れ、秋に報告礼拝をしてくれました。

 

「ドルカスベビーホーム訪問」

ドルカスベビーホームへ訪問に行くことが決定した後、事前準備としての勉強会を行った。見学を有意義なものにするためには、児童問題についての知識を補う必要があると感じたからだ。勉強会では調べる内容を指定せず、委員それぞれの興味に任せた。私は日本の児童問題について調べていったのだが、ドルカスベビーホームについてや日本国内のみならず、海外の児童労働問題の現状やその原因について調べてきている委員や、グラフや統計から日本にいる6人に1人の子どもが貧困問題を抱えているなどの、現代の児童問題やそれの社会へ与える影響について自分自身の考察を発表しあい、とても充実した勉強会になった。

そして訪問当日私たちは神奈川県綾瀬市にあるドルカスベビーホームを訪れた。建物は立派で清潔感もあり、敷地もとても広かった。家庭の事情でこの法人が引き取っている子どもたちは生まれたての赤ちゃんから20歳近くまで広範囲にわたるので、年齢によって相部屋の人数や職員の皆さんのシフトも異なっていた。

訪問の最中に印象に残ったのは、0歳から2歳までの赤ちゃんたちのいる部屋の構造上の工夫だ。まず、その部屋につながる扉はすべてスライド式になっていて赤ちゃんが開けづらく、赤ちゃんが扉の前にいてもケガをしないように作られていた。部屋の大窓は南向きになっており、常に太陽の光が入ってくる。そしてはいはいする子どもたちのために床暖房がついていた。都内では敷地上の問題から南向きでもなく、床暖房もない保育園も多いと聞くので感動した。(中略)

どうすれば、事前学習で学んだような児童問題を小さくできるのだろう。私たちは政治家ではないので直接法に意見することは難しい。だからこのような目標のためにできることはやはり興味をもって知ろうとすることではないだろうか。そういう姿勢で生きていきたいと思う。(高2 宗教委員)

 

「ドルカスベビーホーム見学を終えて」

(前略)乳児院とは、様々な事情により保護者との生活が困難な乳児を保護し、養育する施設だ。院というと病院のような場所を想像するが、実際の雰囲気はまさにベビーホームという赤ちゃんの家のような、保育園と家の中間のような雰囲気だった。実際に行ってみて初めて分かったことは、予想以上に家庭的な愛情を伝えるのを大切にしているということだ。一人一人専用の衣類棚や衣服があったり、実際の家庭と同じように料理をする過程を子どもが見ることができたり、また職員の方一人が子ども一人を付きっきりでお世話できる環境があったりと、一般家庭では当たり前だと感じるようなささいな愛情さえも、ここでは沢山の細かな工夫を通して伝えられている。ただ育てれば良い、ただ一緒に過ごせば良いというのではない。「二十四時間自分だけのための人」がいない環境では、大切に育てられていると感じられるようにすることがより重要になってくる。愛情を伝える工夫を見れば見るほど、やはり施設ではどうしても感じることができない母親や父親からの愛はあるのだ、という事実を改めて突きつけられたように感じ、私には何かできることはないのか、と考えるようになった。

 私は今までこの事実を知ろうとしてこなかった。ニュースで虐待の事件や児童養護施設の問題をみても、どこかで他人事であり遠い存在である、という認識が拭えなかった。しかし決して遠い存在ではないのだ、ということに直接足を運んでみて気がついた。まだ身近な存在と言えるほど沢山を理解できた訳ではなく、赤ちゃんや職員の方の気持ちなど考えても分からないこともあるが、それでも遠い、見えない存在でなくなったことは事実だ。

 そんな自分に何ができるだろうか。乳児院で働く、虐待防止のために働く、里親になる、などの限られた選択肢しかないのだろうか。そんなことはない。どんな状況下であっても、どんな家族の下に生まれてきても、愛されるというのは人が生まれて初めて感じられるとても大切で幸せな唯一無二の経験だ。皆が、一人一人が、生まれた瞬間からそんな愛を感じられるために、そしてもし親からの愛が不十分だったとしても社会に出た時その子が孤独を感じないように、私は寄り添える人になりたい。これには特別な職業など必要ない。むしろ将来全く関係のない仕事を持ったとしても、ニュースにはならない、けれど実は自分の近くにいて、愛を感じられていない子に寄り添い続けたい。漠然とした「社会」という存在に任せきりにせずに、私自身が、行動を起こしていきたい。(高2 宗教委員)

 

 

 

 

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