キリスト教学校フェア報告礼拝

2021年8月28日(土)にキリスト教学校フェアがオンラインで開催されました。

今年度のキリスト教学校フェアでは、参加校の生徒自身がキリスト教学校を語る「高校生フォーラム」が実施されました。フォーラムの4つのテーマは ①1日の学校生活 ②視聴者の方からの質問コーナー ③キリスト教学校あるある ④キリスト教学校で成長したこと で、その様子を期間限定で「キリスト教学校フェアオンライン2021特設ページ」にて配信しています。9月30日までの配信を予定していましたが、好評につき、12月末日までに延長されました。特設ページでは、ここでしか観られない各校の紹介動画なども掲載しています。

 

参加した高校二年生の生徒の報告礼拝を紹介します。

今年度のキリスト教学校フェアは感染症の影響で例年とは異なる形のものとなり、参加校の生徒がZoom上でそれぞれの思いを語りました。参加校の生徒たちの自己紹介から始まり、まずそれぞれの一日の学校生活をグラフにして発表しました。どの学校も朝から礼拝があったり、宗教関連の部活・委員会があったりといった、キリスト教学校ならではの共通点が発見できました。また、朝、学校に行ってから礼拝までの間の過ごし方等、学校ごとというよりもその生徒の個性が出る部分も知ることのできるテーマでした。今回のキリスト教学校フェア、高校生フォーラムは事前に予約をした方がオンデマンド配信を見ることができるようになっているのですが、予約者の方々から寄せられた質問に答えていく形式のコーナーも用意され、「キリスト教信者ではないがキリスト教学校に入学しても大丈夫か」「キリスト教に関係なく、悩みはあったか、それをどのように解決したか」といった、受験生やその保護者の方々からの質問に体験談を交えて回答しました。今年は感染症の影響で文化祭などにもなかなか足を運べない中、このような形で受験生・その保護者との交流が、直接ではなくともできたことは良かったと感じます。そして、キリスト教あるあるを参加校の生徒が次々に発言していくコーナー。「街中で流れているクリスマスソングが分かる」といった、思わず大きく頷いてしまうようなものから「聖書バッグとお弁当袋を間違えがち」というような、びっくりしてつい笑顔になるようなものまで様々でした。一気にその場の生徒たちとの距離が縮まったように感じました。

さて、最後のテーマは「キリスト教学校で成長したこと」というものでした。今回のキリスト教学校フェア、高校生フォーラムのメインテーマでもあるそれについて、ひとりひとりがこれまでの学校生活と今回のフォーラムの内容を踏まえ、1~2 分程度話をしました。同年代が自身の成長について語る姿というのは興味深く、その十数分間で多くのことを学んだ気がします。 私が今回、キリスト教学校フェアに参加して感じたことは、宗教というものの強さです。ただ在籍する学校の宗教が同じであるというだけでここまで話が弾むものか、と驚きました。私はあまり人と話すのが得意ではないのですが、共通の話題(例えば趣味や食べ物の好み、音楽のジャンルなど)があると一気に話しやすくなる、という経験は数多くしてきました。まして、一日の大半を過ごす学校の、しかも宗教ともなれば尚更だとは思います。しかし、たいてい、初対面の人と自分の価値観について語ることはありません。勿論、学校の宗教が同じ「プロテスタント」というグループに属するからといってそこに在籍する生徒がみな一様の価値観を持っているわけもありませんが、それでも同じ宗教について「知っている」という前提があるだけで、随分と話がしやすくなるものだなぁと感じました。そして、その「話しやすさ」は、ただ同じ話題があるというものだけに起因するのではないと思います。今回のキリスト教学校フェア、高校生フォーラムは「キリスト教学校に入学して知ったこと、成長したこと」というテーマのもとで行われましたが、そのようなある意味少し踏み込んだテーマについて話すことができたのも、キリスト教というものを媒介とできたからなのではないかと感じました。

キリスト教学校で学んでいるということは、それぞれの考え方に少なからず影響を与えていると思います。普通に学校生活を送っていると、そのことに思いを馳せる機会はあまりありません。キリスト教があることが日常になっているという中で、それがどのように自分に影響しているのかを改めて見つめる機会というのは意外と貴重なものなのだと思います。私は今回のフェアでその機会を得たわけですが、自分の成長を客観的に見ることは随分と難しいことだなと感じました。参加校の生徒たちがそれぞれ自分の成長について述べたのですが、同じキリスト教学校という括りのなかでも似たり寄ったりの回答ではなく、各々の個性の出る答えだったように思います。それでも、共感できる部分や推察できる部分が多く、大きく頷きながらお話を聞いていました。例えば、О 高校の生徒さんが言っていた「礼拝での先生のお話が、自分の悩んでいるときに力になる」という経験は私も何度か覚えがありますし、K学園の生徒さんの「聖書の授業や礼拝でのお話を通して視野が広がり、目の前のことでいっぱいになることがなくなって心に余裕ができた」というのにはなるほどと思いました。他の学校の生徒のお話ではありながら、そのように多くの共感できる部分があったということの理由のひとつとしては、やはり、そのお話の基盤に「キリスト教」という共通のものがある、ということが挙げられると思います。 私は、女子学院に入るまでは殆どキリスト教に触れてきませんでした。クリスチャンの祖父母やその娘である母に「叩けよさらば開かれん、だよ」等と言われつつも、キリスト教についての知識はゼロに等しかったと思います。キリスト教学校フェアで、そんな私がキリスト教学校である女子学院に入学して成長したこと、と問われて、私は「考え方の指針を得られた」ことだと答えました。決してぶれない「キリスト教」という指針を得たことで、自分の考え方にも変化があったと感じます。それもまた、キリスト教というものの強さだと思うのです。2000年もの間信じられてきたものに、中高という人格形成の時期に触れ、またそれについて学ぶことは自分の人生の糧になるだろうと感じています。

今回のキリスト教学校フェアで、同じキリスト教学校の他校の生徒たちが話すのを聞いていてもつくづくそれを思いました。家庭環境も、これまで見てきたものも、学ぶ場所すらも異なる生徒たちが一堂に会して、それぞれの考えを「キリスト教に関連して」述べるということが可能であるということは、宗教というものの強大さを示しているのではないでしょうか。 私はキリスト教学校に入って初めてキリスト教に触れた、という人間ですが、キリスト教学校フェアでは、入学前からクリスチャンホームで育ってきたという生徒も多くいました。そんな生徒のうちの一人は、「入学するまではクリスチャンコミュニティしか知らなかったけれど、神様をベースとしないで生きている人とも接して意見を交わす中で、そのような人と接する大切さを学べた」と答えていました。キリスト教学校ではありますが、それに縛られず沢山の価値観を持つ生徒がいます。多くの考え方があることを受け入れる寛容さもまた、私はこの学校で得ることができたと感じています。そしてそれは、この学校がキリスト教を掲げていることと無関係ではないでしょう。多様なものを認め、受け入れるということは昨今の社会においても大切な要素だと思いますが、今回のフェアでその一端を垣間見ることができたように感じます。 私はクリスチャンではないし、そうなる予定が今のところ特にあるわけでもありません。しかし、この学校でキリスト教について学び、礼拝という場を通して「キリスト教」を基盤としたお話を数多く聞いてきました。キリスト教を信じるか否か、ということも大事な面かも知れませんが、それよりも今は、その経験を自身の考えにどのように活かしていくか、ということが大切なのではないでしょうか。今回のキリスト教学校フェア、高校生フォーラムという貴重な場に参加させていただいたことで、また多くの考えに触れることができました。このことを糧として、日々歩んでいきたいと思います。

 

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