創立記念日集会が行われました
2021年10月、昨年開くことのできなかった創立150周年記念講演会、記念式典が行われ、皆で心を合わせてお祝いしました。
10月15日(金)には東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構特別教授・カリフォルニア大学バークレー校教授の村山斉氏をお迎えし「宇宙と私たち」と題してご講演いただきました。
10月25日(月)には創立記念式典が行われました。第一部は礼拝形式で行われ、第二部では、女子学院の歴史を紹介する映像の視聴と、四名の卒業生の方によるパネルディスカッションが行われました。
11月17日(水)と18日(木)に行われた創立記念日応答礼拝の中から、中学二年生、高校二年生の二人の生徒の礼拝を紹介します。
<中二生徒礼拝>
「らしさ」という言葉は、時にきゅうくつな感覚を私にもたらす。私に限らず、多くの人がそう感じることがあるのではないかと思うが、先日の式典やパネルディスカッションの中で「女子学院らしさ」やそれに似た言葉を聞いても、私はそれほどきゅうくつさを感じなかった。なぜだろうか。
考えたのは、そこで言われた「らしさ」が表層的なものではないからではないか、ということだ。性格がどうだ、雰囲気がどうだなど、安易に言葉に表して「型」に出来る「らしさ」ではなく、どういう訳か、各々が共鳴し合えるような考え方を持ち、その共鳴が何かの結果として表れる。その結果、または各々が共鳴し合っていることそのものが、女子学院らしさなのではないかと思った。
女子学院は、活発な生徒が多いとか、様々な分野のパイオニアを多く輩出していることがよく特徴として挙げられる気がする。前者は全くの嘘ではないし、後者も確かにそうだと思う。しかし、それなら、物静かな生徒や、世間に何者とも認知されていない卒業生は女子学院生らしくないのだろうか。そうではないと思うし、そうであって欲しくないと思う。もっとも、そこまで「らしさ」にこだわる必要はない。だが、あえて言うならば、女子学院らしさの本質は、雰囲気や性格などの表層的な共通項を取り払った先にある、目に見えづらい共鳴ではないかと思うのだ。
ここまで長々と女子学院らしさについて考えてみたが、今述べたことを「らしさ」という言葉でまとめる必要はやはりないように思った。結局、女子学院らしいことも、らしくないことも、女子学院という環境は受け止めてくれる。私はそう感じる。女子学院という環境が、一体どのようなものなのかを考える機会は、私の生活の中にはあまりない。だが、先日のようにふと立ち止まって、改めて女子学院というものを眺めると、そこには、長い歴史の中で育まれ、今も、教職員や卒業生の方々、生徒、その保護者の方々によって作られている、独特で、変わりゆくけれども揺るぎない空気が流れていることに気付く。創立百五十年という女子学院の大きな節目が、私のこの気付きの機会となり、今私がいる環境を作る人たちに改めて感謝する機会にもなったことを、本当に嬉しく思う。
<高二生徒礼拝>
先日行われた「その道がひらく」をテーマとしたパネルディスカッション。そこで、パネリストの認定N P O法人難民支援協会代表理事の石川さん、大学病院麻酔科医師の細川さん、漫画家の今日さんに対して最後に出ていた質問とその答えが印象に残っている。世界には大学に行きたくても行けない人が大勢いるのに、「何者」でもなく、こういう者になりたいという志すらはっきりしていない自分が大学に行ってもいいのか、「何者」かにならないといけないのではないか、こんな内容は私も最近考えていたことであった。受験用の勉強にも今一つ本腰が入らない自分にとっては、行っていいのか、というよりも、こんな自分で行けるのか、とも思ってしまう。現時点で不明確であっても、こういう「何者」かになりたいと考えられている人は、その勉強にも努力にも、動機がある。しかし、ある意味では必要な勉強から逃げる理由なのか、私には、少しだけ気になっている程度の志望校の合格を勝ち取れるほど、努力をするモチベーションがいまだにないと悩んでいた。と言うよりもむしろ、努力をする方向はそれで合っている、という何か確信が得られるのをずっと待っていたのかもしれない。
そんな時だったから、パネリストの方々のお答えは今の自分を奮い立たせるものだった。三人の方はそれぞれの言葉で、しかしどこか共通点を持っていて、この歳になっても自分が「何者」かは分からない、いつか誰かを助けたくなった時、「何者」かになりたいと思った時、ある程度の力がついていないとそれを叶えることは出来ない、大学に行ってから自分が何を目指したいのか探すことも大いにできる。と仰った。まさに今、多方面で活躍されている三人の方の回答は、パネルディスカッション中にも触れられていたマリア=ツルーの「自分に力があるのに他を助けなかったとき、苦痛を感じる女性になりなさい。」という言葉にさらに説得力を加えて、私に届いた。私は勉強を思いっきりできる場所にいる、そう自覚できているからこそ、自覚できている間に、その場所を最大限に活用して努力をしなければ、その場所から離れてみて望み始めても、他を助ける力は自分についていないという情けない状況になっているところが容易に想像できたのだ。
司会のTVディレクターの浅井さんを含めた四人の方は、お話を伺っていた限り、本当に自分自身で道を開いた、という感覚はないのかもしれない。ただ、それぞれの方のエピソードから、きっかけを得る行動をしていない限り開く道も開かない、とも感じた。具体的にパネルディスカッションの内容から要約してみれば、石川さんは就職ができなくてもN P Oでの取り組みを続けていたから、N P O団体の拡大とともに歩まれ、今では代表理事となり、細川さんはきっと医学部での実習や大学病院での仕事ぶりが素晴らしかったから、数少ない産科麻酔科に誘われ、今日さんは毎日スケッチブックを書きつぶしていたから、突然頼まれた記事の一コーナーが人気になった、とも言えるだろう。だから、私も開く道が開くように、自分が「何者」になりたいのか、「何者」なのか分かる日が来るように、今は勉強というきっかけを得る行動をきちんと続けたいと思った。
また最後に、お話いただいた四人の方がJ Gの卒業生だからというのか、エピソードを語る上でも、正直な人間らしい自分の言葉で、でも話の筋道は通っていて、ユーモアもあって、それに何より自分の仕事を愛して自信を持っていらっしゃるのが伝わってきたのが、一人の人間としてもとても魅力的に見えた。このような場であっても、モチベーションばかりを探していた私でも、口で大きなことを言うのは簡単である。しかし言葉だけでなく、自身の姿でもって積み重ねた努力の結果を見せてくださったパネリストの方々を覚えて、私も母校の後輩に自分の仕事について自信を持って話せる人になりたいと思った。これも努力をする一つのモチベーションと言えるではないか。