高校進学に向けて

「高校進学に向けて」と題した中学三年生の生徒の礼拝を紹介します。

中学バレーボール班に所属していた私は、人生の中心にはいつもバレーボールがあった。定期テストの勉強は追試になって練習に行けなくならないために行ったし、学校の規則に関しても、班活動に支障が出ないように、という思いで守っていた。今思えば視野が狭くもったいないと感じるが、当時はとても充実した日々を送っていた。しかし、そんな私の生活が一変した出来事がある。それは、中学三年生の四月、怪我でバレーボールが行えなくなったことだ。今まで人生の中心にあったバレーボールが出来ず、礼拝にも授業にも部活にも全く身が入らなくなり、私の中に大きな穴が空いた気分だった。毎日なんとなく学校生活をおくり、だらだらと時間が過ぎていく、そんな自堕落な生活をしていた私を救ったのが、友人と聖書の存在だ。半ば自暴自棄になっていた私を励まし支えてくれ、時にはぶつかってくれた友人達のおかげで、私は徐々にいままでとは違うものの見方ができるようになった。今まで、ただバレーボールを中心に見てきたものへの考え方が、どんどん変わっていったのだ。その中でも特に大きく変わったのが、「聖書」に対しての考え方だ。初めは聖書の内容も理解できず、様々な方がして下さった聖書の教えに対しても共感出来なかった。

しかしある日、礼拝に出てきた「インマヌエル」という言葉が、なぜかすっと私の中に入ってきたことがあった。なぜこの時、この言葉を受け止めることができたのかは分からないが、きっと、ずっと支えてくれた友人や先生、家族の存在があったから、「神さまは私たちと共にいて下さる」というこの言葉を素直に受け止めることができたのだと思う。その日から私は、今まで以上に聖書の言葉に耳を傾けるようになった。毎朝の礼拝では、予鈴と本鈴の間の時間で聖書を読んでみたり、聖書の授業にも積極的に参加するようになった。すると、自分にはない新たな視点や考え方、自分自身への見方など、様々なことを感じることができ、間違いなく今までの人生で一番濃い期間となった。また中学三年生の夏休みに行った戦争体験の聞き書きやボランティア活動などにおいて、自分自身で意味を見出し課題に取り組むことが増えたように感じる。

そして、私はこの時、2024年の標語聖句である「探しなさい。そうすれば、見つかる。」という言葉を思い出した。私が新たな視点を身につけることが出来たのは、周りの環境が変わったからではなく、自分自身が変わったからだ。私自身が聖書や礼拝から学ぼうと行動したことで、他者との繋がりや学ぶことの大切さ、命の大切さ等、様々なことを学ぶことができた。この先、いくら探し、求めても見つからないものがあるかもしれない。しかし私は、そのような現実に直面しても探すことをやめずに、探し続ければいつかは見つかると信じて、これからも生きて行きたいと思う。

高校では中学校までの義務教育期間を終え、今まで以上に強い責任が伴う。このことをよく自覚し、好きなことに没頭するためにやるべきことをきちんと行い、友人や先生、家族をはじめとした様々な人への感謝を忘れず、自分自身を律して、これからの日々を大切にしていきたいと思う。また毎日の授業や礼拝、他者との関わりの中でも自主的に学ぶことで、自分の視野や可能性を更に広げていきたい。そして、周りの友人達との時間や自分自身も大事にし、大切に女子学院生活を過ごしていこうと思う。

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