標語聖句2018年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2018年度の標語
「希望はわたしたちを欺くことがありません。」
(ローマの信徒への手紙5章5節)

使徒パウロは、ローマの信徒への手紙の中で、「今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(5章2節)と記しています。パウロの記した希望とは、単なる欲求や個人的な願望のことではありません。神様に導かれてその栄光にあずかる希望、すなわち神様に良しとされ、神様のもとに受け入れられるという、将来の約束のことを言っています。約束された道が備えられ、そこにいたることが確約されている。何とも嬉しく、心に平安を与えてくれる宣言ではないでしょうか。しかし、この道にいたるには、私たちにとって、越えなければならない数多くの問題があることも事実です。

人生において、私たちは何度となく苦難に出会います。聖書において、これらの苦難は神様の与えられる試練であると説明されています。神様は私たち人間を神様の恵みの中に導き入れるために、数々の試練を与えて鍛えられるのです。大きな試練に直面すると、くじけそうになる本当に弱い私たちですが、神様は共に歩むことによってそのような私たちを常に助け導いて下さいます。「(神は)私たちを耐えられないような試練に遭わせることはなさらない」(コリントの信徒の手紙Ⅰ 10章13節より)とある通り、私たちに与えられる試練は、必ず乗り越えられるものなのです。

神様は苦難を共に背負い、私たちと共に歩んで下さいます。そんな時、私たちは見えないものを確信し、信仰によって強められるのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと聖書に書いてある通りです。試練の先には神様に約束された希望が待っています。ですから、目の前の苦難に立ち向かう時、私たちが恐れる必要はないのです。神様が共にいて下さるから、私たちはどんなことにも立ち向かうことができます。そして導かれた希望の先には、さらに神様に約束された救いがあるのです。

私たちに、神様の栄光が約束され、希望が与えられるのは、「神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマの信徒への手紙5章5節後半)とあるように、私たち自身が神様を愛したのではなく、神様が私たちを愛して下さったからです。苦難の時に、一人でもがき苦しみ、神様が差し伸べて下さっている手を見つけようとしない。そうなってはいないでしょうか。私たちは神様の愛を知っています。神様の救いを知っています。神様がこの世に独り子である主イエスを送り、十字架の死をもって、私たち人間の罪を贖われたことを聞いています。だから安心なのです。苦しみ悩みの時に頼るべき先を知っているのですから。

宗教改革者マルティン・ルターは、自身の罪を自覚し、神の裁きを恐れる日々を送っていました。いくら努力しても神様の裁きからは逃れることができないし、罪を消し去ることもできないと。しかし、神様の一方的な愛により救われるのだという考えに導かれたとき、希望を見出すことができました。そして、その希望は必ず叶えられることを確信し、神様にすべてをゆだねることができたのです。

私たちは、希望を確かにして下さる聖書の言葉を毎日聞いています。苦難を目の前にしても、神様に信頼して克服していく力を与えられているのです。力強く歩みましょう。

院長 鵜﨑 創

 

 

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