標語聖句

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2025年度の標語
「主において常に喜びなさい。」
(フィリピの信徒への手紙4章4節)

世界各地で起こっている争いはいまだ終結を見ることなく、混迷の時代が続いています。そればかりか、貧困、飢餓、感染症などの問題に加え、様々な人権問題も解決を迎える兆しがありません。このような社会が抱える問題を知れば知るほど、将来に向けて私たちの不安は大きくなり、悲痛な思いを抱かざるを得ません。

一方、私たちの日常生活に目を向けてみても、日々楽しいことやうれしいことばかりが起こっているわけではありません。悲しいこと、我慢しなければならないことなど、喜べと言われても簡単には受け入れることができないことが多くあります。

聖書が書かれた時代に人々の日常はどうだったでしょうか。フィリピの信徒たちへ手紙を送った使徒パウロは、獄中からこの手紙を書きました。監禁されていたパウロも、誕生して間もなく指導者を失っていたフィリピの教会の人々も、それぞれが苦難の中にあったと考えられます。彼らは、現代の私たちよりも、もっと大きな苦しみや悲しみを背負っていたのではないでしょうか。そのような中で、パウロが書簡に記したのは、「常に喜びなさい。」との強い勧めの言葉でした。今が苦しい時だからこそ、悲しんでばかりいるのはもうやめにして、嫌なことは忘れて喜びなさいとパウロは言うのでしょうか。そうではありません。パウロは「主において常に」と記しています。私たちが本当に喜ぶべきことは、日々満ち足りた生活を送ることであったり、うれしい気持ちに満たされたり、裕福であったり、健康であるといった、目の前の幸福ではないのです。むしろ聖書では、日々の苦しみや悲しみを耐え忍ぶこと、将来の希望に向かって目を向けることが大切にされています。

それでは、使徒パウロはいったい私たちに何を喜べというのでしょう。それは主が常に共にいてくださること、そして私たちが救いにあずかることへの喜びです。「喜びの手紙」と称されるフィリピの信徒への手紙では4章の続きに更に次のような聖句が並びます。

「どんなことでも、思い煩(わずら)うのはやめなさい。」(6節)
「平和の神はあなたがたと共におられます。」(9節)
「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(13節)

共にいて下さる主イエスの存在によって、たとえ今がどのような時代であっても、私たちに恐れはなく、将来の希望に満たされているのだとの確信が、このメッセージに込められているのです。

悲しみや苦しみを探すばかりではなく、喜ばしいことに目を向け、恵みを数えることの方が幸せな気持ちになることができるでしょう。主にある救いという素晴らしい喜びが将来約束されている私たちにとって、「主において常に喜びなさい。」との勧めは、けっして根拠のない楽観的なむなしい言葉とはならないのです。どんな時にも目を上げて、将来の希望に喜びをもちましょう。たとえ、今すぐには受け入れにくいことがあったとしても、それは神様が用意された、将来につながるとても大切な経験なのです。

(院長 鵜﨑 創)

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