標語聖句2002年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2002年度の標語「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙 12章15節)

女子学院では毎年学校の歩みの指針となるような標語を掲げています。それは聖書の言葉の中から選ばれています。今年度は、人の心にうるおいが乏しくなってきているこの時代の中にあって、イエス・キリストにならい、少しでも他者に関心を抱き、共感できる生き方ができるようにとの願いを込めてこの聖句が選ばれました。

私たちは普段、他者の喜びや悲しみを共有することができると思っていますし、実際ある程度まではそれが可能です。しかし、どこまで真実にそれができるかは疑問です。辛く、悲しい状況にある人々に同情し、一時的に涙を流すことはできても、その人々の悲しみを自分のこととして受け止めることがどこまでできるかは分かりません。さらに、泣く人と共に泣くことはできても、喜ぶ人と共に喜ぶことはなお一層むずかしいことかも知れません。自分も喜ぶべき状況にある時ならまだしも、自分は辛く、困難な状況にある時に、他人の喜びを素直に喜ぶことの出来る人はむしろ少ないのではないでしょうか。そう考えると「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」というのは、決して当たり前のことでも簡単なことでもありません。

コンピュータや携帯電話の普及に伴い、私たちは機械を通じて誰かと会話をすることが多くなりました。時にはそれはまだ会ったこともない相手であったり、友人であったりします。電車の中などで数人の若者が並んで座っていながら、お互いに隣りの人には目もくれず、ひたすら携帯とにらめっこをしている光景は一種異様な感じさえします。そのような人間関係はいかにも現代的で、ある意味で便利でもありますが、他方では、顔と顔を合わせて語り合う時のように、相手の息吹を身近に感じることのできるような生身の関係とは少し違う、どこか無機質な人間関係であるような気がします。

そのような現実に生きている私たちだけに、徹頭徹尾苦しみや悩みの中にある人々の傍にそっと寄り添い、他者の喜びや悲しみに心を寄せて生きられたイエス・キリストにならって、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことの出来る人になるよう努力したいものです。

これまでの標語より