標語聖句2003年度
女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。
2003年度の標語「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節)
皆さんはこの聖句を読んで、どんなことを感じるでしょうか。「いつも喜んでいる?」―いやなこともいっぱいあるのに、いつも喜んでばかりはいられないよ。 「絶えず祈る?」―そんな気持ちにはなれないな。「全てのことに感謝?」―腹がたつこともたくさんあるのに、そんなの無理! このように考える人が多いのではないでしょうか。しかし聖書をよく読んでみると、このような勧めが向けられている相手はほとんど例外なく、辛く苦しい状況に置かれていた人々だということが分かります。あるいはパウロのように勧めをしている当の本人が、非常に苦しく困難な状況の中で、時には牢獄の中からでさえ、いろいろな場所にいる信徒たちに励ましの手紙を書いたことが知られています。どうしてそんなことが可能なのでしょうか。
テサロニケというのは現在のギリシャ共和国、かつてはアレクサンダー大王が君臨したマケドニア王国にある大都市でした。パウロがエーゲ海を渡ってマケドニアに福音を伝えたということは、キリスト教がはじめてヨーロッパへ伝えられたという点で歴史的な出来事でした。パウロの伝道活動を通して、テサロニケの町にもキリスト教徒の群れが生まれたとはいえ、そこはギリシア文化の影響が色濃く残っていた土地であり、偶像礼拝も盛んな異教の世界でした。キリスト教徒たちに対する誤解や中傷や迫害も絶えず、少数派である彼らは常に不安と困難の中に置かれていました。そのようなテサロニケの信徒たちに対してパウロは、「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」ように勧めているのです。
パウロの言う喜びや感謝とはどういうものなのでしょうか。単なる気休めなのでしょうか。決してそうではありません。それはこの世的な価値に縛られるのではなく、「イエス・キリストにあって」喜び、感謝するという意味です。それは人が生かされている喜びであり、いろいろな弱さや欠点を持ったままで、イエスさまのとりなしによって、まるごと神に受け入れられていることへの感謝なのです。私たちがどのような状況に置かれていても、神さまはいつも私たちに目をとめていて下さる、決して見捨てることはなさらない、という信仰から来る希望であり、慰めなのです。その神の愛に気づく時に、私たちの生活が喜びと、感謝に変えられる、そしてそれを支えるのが祈りなのです。祈りは神さまとの対話です。
院長 田中弘志
これまでの標語より
- 2023年度 「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。」
(コリントの信徒への手紙一15章58節)
- 2022年度 「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」
(マタイによる福音書5章16節)
- 2021年度 「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。」
(イザヤ書55章6節)
- 2020年度 「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
(ヨシュア記1章9節)
- 2019年度 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
(ヨハネによる福音書15章12節)
- 2018年度 「希望はわたしたちを欺くことがありません。」
(ローマの信徒への手紙5章5節)
- 2017年度 「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 5章1節)
- 2016年度 「狭い門から入りなさい。」
(マタイによる福音書 第7章13節)
- 2015年度 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」
(イザヤ書 第43章5節)
- 2014年度 「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
(サムエル記上 第16章7節)
- 2013年度 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」
(コヘレトの言葉 第3章11節)
- 2012年度 「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」
(ルカによる福音書 10章42節)
- 2011年度 「真理はあなたたちを自由にする。」
(ヨハネによる福音書 8章32節)
- 2010年度 「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
(マタイによる福音書 5章9節)
- 2009年度 「青春の日々にこそ,お前の創造主に心を留めよ。」
(コヘレトの言葉 12章1節)
- 2008年度 「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
(イザヤ書 40章8節)
- 2007年度 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」
(レビ記 19章18節)
- 2006年度 「わたしは道であり、真理であり、命である。」
(ヨハネによる福音書 14章6節)
- 2005年度 「しかし、成長させてくださったのは神です。」
(コリントの信徒への手紙 Ⅰ 3章6節)
- 2004年度 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」
(ヨハネによる福音書 15章5節)
- 2003年度 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節)
- 2002年度 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
(ローマの信徒への手紙 12章15節)
- 2001年度 「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」
(ヘブライ人への手紙 13章8節)