標語聖句2006年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2006年度の標語「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネによる福音書 14章6節)

イエス・キリストは十字架の死を前にして、弟子たちに向かって「人の子が栄光を受ける時がきた」とか、「わたしは地上から上げられる」、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」などと謎めいた言葉を何度も語っておられました。またみずから弟子たちの足を洗い、最後の晩餐の席では弟子たちの一人が自分を裏切ろうとしていることを予告さえなさいました。しかし、弟子たちには一体何が起ろうとしているのか、そして主イエスの言葉の本当の意味は何なのか、理解することが出来ませんでした。

けれども何となくイエスさまが自分たちのもとを離れ、どこかへ行ってしまわれるようだということを感じ取った彼らは、大きな不安にとらわれます。そこで「主よ、どこへ行かれるのですか」「なぜ私たちはついて行けないのですか」と質問します。それに対して答えられたイエスの言葉の中に、標語に取り上げたこの有名な聖句があります。全文はこうです。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」

つまりイエスさまはご自分が父なる神へと通じる道であると宣言しておられるのです。父なる神へと通じる道は同時に真理への道であり、永遠の命へとつながる道でもあります。わたしたちは誰も神を見ることは出来ませんが、人として地上を歩まれた神の子イエス・キリストを通して神の存在がはっきりと示されています。それを証言しているのが聖書なのです。

人生の旅人であるわたしたちには道しるべが必要です。それも不動の、確固たる道しるべが。きのうは東を向いていたのに今日は西を向いているような道しるべでは意味がありません。旧約聖書の時代の人々も懸命に自分が歩むべき道を尋ね求めました。時に迷い、時に神に反抗しながらも、常に神に向かって祈り求めました。ある詩篇の作者は「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまこと(真理)の中を歩みます。」と歌いました。(詩篇86:11)イエスさまは道しるべであると同時に、わたしたちと一緒に歩いて下さる道案内人でもあります。共に命に至る道を尋ね求めつつ歩みたいものです。

これまでの標語より