標語聖句2012年度

女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。

2013年度の標語「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」(ルカによる福音書 10章42節)

イエスがベタニア村のマルタとマリア姉妹を訪ねられた時のこと。イエスの足元に座ってイエスが語られることに一心に耳を傾けていたマリア。一方、イエスをもてなすことに心砕き、マリアにも手伝って欲しいと呟くマルタ。イエスはマルタに語りかけられました。「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリアはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」と。新共同訳で「必要なことはただ一つだけである」となっているこの聖句は、私が女子学院で学んでいた当時の院長でいらした山本つち先生が生徒一人ひとりに書き贈って下さったものです。「われ山に向かいて目をあぐ」の信仰に堅く立たれ、女子学院をこよなく愛し、導いてこられた山本先生に感謝し、あえて当時の口語訳を今年度の標語とすることにしました。

「無くてならぬ一つのもの」とは何なのでしょう。みなさんにとって、「無くてならぬもの」とは何でしょう。この問いは「自分の人生に意味を与えるもの、最終的に自分の人生を意義付けるものは何か」という問いでもあるでしょう。  同じような問いかけは聖書の色々な箇所にみられます。富める青年がイエスに発した「永遠の生命を受けるにはどんな善いことをすればよいのでしょうか」という問いに対するイエスの応答もまた、「無くてならぬ一つだけのもの」を指し示しているのではないでしょうか。

私たちにとって「いのち」は何物にも代え難い大切なものに違いありません。それでも聖書は語ります。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と。昨年日本を襲った未曾有の災害。何人もの方が自らの命を賭して他者を助けたといわれています。親しい友でもなく、いわば通りすがりの人のためにも自らの命を捨てた方たち。自分の命を捨ててまで守った「無くてならぬもの」は何だったのでしょう。

このように、生物の一種である「ヒト」には、進化論を提唱する上でダーウィンをして深く悩ませたと言われている「良心」があり、利他的行動を取ることができます。「無くてならぬただ一つのものとは何か?」という問いとどこかで相通ずる「利他的行動はどのように進化して来たのか?」という問いは人間にとっての根源的な問いであると思います。

このような時代だからこそ、「利他的行動」を取ることの出来る「人」として生かされていることを感謝し、この1年、否、生涯を通して「無くてならぬものは何か?」という問いを皆さんの心の中に抱えて、一日一日を大切に生きていって欲しいと心から願っています。直ぐには答えに辿り着けないだろうこの問いそのものに向き合うことによって、必ずあなた方の心は豊かに育まれることでしょう。

院長 風間 晴子

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