標語聖句2013年度
女子学院の標語聖句は、その聖句の意味を生徒が1年の課題として考えるように、年度初めに院長が選んでいるものです。
2013年度の標語「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレトの言葉 第3章11節)
今年度の標語聖句として選んだこの聖書の箇所の少し前には、『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある』という言葉に続き、生まれる時、死ぬる時、と『人の世におけるさまざまな時』が詠われています。
「時」とは何でしょうか?「時間」とは何でしょうか? 人々は昔から今に至る迄、「時間とは何か?」と問い続けてきました。「時」あるいは「時間」とは何かという問いは、哲学や自然科学において、今も重要なテーマであるに留まらず、「いのち」とは何かという問いと共に、すべての人間にとって、人間の存在そのものへの問い掛けであり、正に根源的な問いです。
私たちに与えられた時間は、私たちのいのちそのものです。けれども、私たちは、この世に生を受けたその時、またこの世を去る時をはじめ、「自分の時」を自分で決めることは出来ません。私たち一人ひとりの「自分の時」を支配しているのは私たち「自分」ではなく、「別の存在」があるということです。そのことは、私たちのいのちは「与えられたいのち」であることを意味しているのだと思います。「与えられたいのち」であることを受け入れた時、このことを示された時、それは実は、計り知れない恩恵であるという不思議な安堵感が与えられるのではないでしょうか。
神様が「私の時」を支配して居られると聖書は語っています。そして、神様はすべてのことについて、最善の「時」を備えて居られるとも語られています。それは決して、私たちは何もしなくても良いということではありません。与えられたいのちであるからこそ、大切にする。そして、自分の最善を尽くして、最後は、すべての事柄に対して最も良き時を備えて下さる神様に委ねたら良い。それは、苦しい時、自分が願ってもいないような状況に置かれた時に、永遠の相に思いを巡らせる心のゆとりを与えられるということでもあるでしょう。今はそのことが明確には分からないとしても、そのような方が居られることを信じることで、必ずあなたの心には安らぎが訪れると思います。
時間は過去から未来に向けて、一方向に流れているという、私たちが感覚的に捉えている現象・概念は、自然科学においても「時間の矢」という言葉で表現され、今もなお、論議されています。みなさんもこの1年間、この難問、「時間とは何か?」ということに思いを巡らせながら、私たちの「自分の時」を支配して居られる方が、私たち一人ひとりに注がれている眼差しに気づいて欲しいと願っています。そしてその方と向き合い、その声に耳を傾けて欲しいと思います。思いを巡らす過程で、様々な考え方があることも知ることでしょう。この標語が「永遠」という時への思いをあなたがた一人ひとりに与え、そこに多くの学びがあることを願っています。
院長 風間 晴子
これまでの標語より
- 2023年度 「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。」
(コリントの信徒への手紙一15章58節)
- 2022年度 「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」
(マタイによる福音書5章16節)
- 2021年度 「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。」
(イザヤ書55章6節)
- 2020年度 「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
(ヨシュア記1章9節)
- 2019年度 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
(ヨハネによる福音書15章12節)
- 2018年度 「希望はわたしたちを欺くことがありません。」
(ローマの信徒への手紙5章5節)
- 2017年度 「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 5章1節)
- 2016年度 「狭い門から入りなさい。」
(マタイによる福音書 第7章13節)
- 2015年度 「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。」
(イザヤ書 第43章5節)
- 2014年度 「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
(サムエル記上 第16章7節)
- 2013年度 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」
(コヘレトの言葉 第3章11節)
- 2012年度 「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」
(ルカによる福音書 10章42節)
- 2011年度 「真理はあなたたちを自由にする。」
(ヨハネによる福音書 8章32節)
- 2010年度 「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
(マタイによる福音書 5章9節)
- 2009年度 「青春の日々にこそ,お前の創造主に心を留めよ。」
(コヘレトの言葉 12章1節)
- 2008年度 「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
(イザヤ書 40章8節)
- 2007年度 「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」
(レビ記 19章18節)
- 2006年度 「わたしは道であり、真理であり、命である。」
(ヨハネによる福音書 14章6節)
- 2005年度 「しかし、成長させてくださったのは神です。」
(コリントの信徒への手紙 Ⅰ 3章6節)
- 2004年度 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」
(ヨハネによる福音書 15章5節)
- 2003年度 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節)
- 2002年度 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
(ローマの信徒への手紙 12章15節)
- 2001年度 「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」
(ヘブライ人への手紙 13章8節)